大崎市医師会誌に発表した文書

子宮頸がんワクチンの副反応の本態は"ASIA"

大崎市医師会報に寄稿したものです。順番に廻ってきます。新潮45は7000字ぐらいで長過ぎるとおもいましたので、かなり短く、1頁分、1300字ぐらいに纏めました。自己免疫と自己炎症を纏める考え方として"ASIA"の考え方を借りました。スキャナーで300dpiで読み取りました。ASIA.jpg

「私はインディオ(Indio Soy)」 という歌

平成21年10月25日号の大崎市医師会報に投稿したものです。趣味の部屋に入れるべきだったかもしれません。
一番下に、投稿したものをスキャナー(150dpi)で読み込んだ画像があります。
印刷してお読みいただけます。
一部書き替えたため、下の文章と違う箇所があります。ご了承願います。
歌詞は全文を収載いたしました。

残念ながら YouTube では Viviana & Condorkanki の歌は聴けません。

アレンジが全く違うのですが、Florencio Zambranoの歌が聴けます。歌詞は同じです。
歌詞では山岳地方(ボリビア)のインディオのことを歌っているのですが、画像はアマゾン川流域のインディオと思います。

4/06 '12 下のビデオも見られなくなりました。残念です。
ネット上には、ここで取り上げている Indio Soy の歌はありません。

「インディオ」という言葉には侮蔑的な意味が含まれ、使うときは注意しなければならないようです。
原住民を表す言葉としては、 indigena インディヘナ を使った方が無難なようです。
( インディヘナで、インディオと呼ばれるのが嫌な人たちがいるわけです。)
さらに、この歌の歌詞に、スペインを告発する箇所があり、南米では歌えないのだと思います。
日本での公演だからこそ披露できたのだと思います。
「日本人には分かってもらいたい」というメッセージが込められているのだと考えています。




「私はインディオ(Indio soy)」という歌


南米への関心

 大学生から初期研修医のころはクラシック音楽しか聴かなかった。30歳代の頃から民族音楽を聴こうと努めた。しかし、民族音楽がすべて耳に合うわけでなく、ジャワのガムラン音楽とトルコの軍隊行進曲くらいが限界であった。

 またそのころから非ヨーロッパ文明の本を読むようになった。最初に読んだ本は「私の名はリゴベルタ メンチュウ」だったと思う。その後、「ナパニュマ」を書評で知って読んだが、非常に印象深いものとなった。ナパニュマとは、ヤノアマの言葉で「白い女」という意味である。ベネズエラに近いアマゾン奥地のヤノアマ族に連れ去られ、部族の長と二度結婚し(最初の夫は部族間の戦争で殺される)、子供を育て、白人社会に戻ったスペイン女性の自伝である。最終章の"醜い白人の社会"という見出しは、ヨーロッパ白人文明に疑いを持っていなかった私にはショックであった。そして転機となった。

くしくも本年(2009)4月にNHK特集で「ヤノマミ」が放送された。「ナパニュマ」は1950年代が舞台であった。ヤノマミの現在は、合成繊維のパンツをはき、アルミのたらいをつかい、幼児がカラー印刷の聖書の絵本のページをめくっていた。この番組出は、ヤノマミの狩りの生活、未婚の若い母親の"出産、嬰児殺し"を中心としたものであった。取材、撮影は大変だったと思うが、「ナパニュマ」を読んだことのある者にとっては、映像は興味深かったし、参考になった。

次に読んだものは「ラテンアメリカ500年 収奪された大地」(1971年)だったと思う。この本は本年、第5回米州サミット国連の場で、ベネズエラのチャベス大統領がオバマ大統領に贈ったことで注目を集めた。日本でも再出版されている。

1492年は北米、南米の先住民にとっては地獄への分水嶺の年だった。神、客として歓迎したスペイン人たちは非道非情なる悪魔だった。スペインによるインカの「発見」と「征服」は、インディアスの民、大地、富がヨーロッパ白人のむき出しの欲望の前に、無防備なまま差し出されたようなものである。それは黄金、銀の強奪のみならず、インディアスの民に、虐殺と奴隷労働をもたらした。その後、先住民は500年もの間、白人の暴虐と戦い続けてきたのである。過去にはキリスト教徒のスペイン人、現代はアメリカの資本支配のもと、武器支援を受けている勢力とである。

 「インディアスの破壊についての簡潔な報告」は上の本で知ったと思う。司教ラス カサスは、カリブ海諸島、中南米、ペルーで、スペイン人のインディアスの民に対する暴虐があまりにひどいことを調査し、スペイン国王カルロス一世に謁見を求め、報告した。それが文書化されたものである(1542年)。全編、以下に紹介するような残虐行為が記されている。

 "この40年の間、また、今もなお、スペイン人たちはかつて人が見たことも読んだこともない聞いたこともない種々様々な新しい残虐きわまいりない手口を用いて、ひたすらインディオたちを斬り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやっている。"

 "スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。「申し訳ないが拙者が別の奴を殺すまで、どれでもいいからその辺の奴の四半分ほど貸してくれ。犬に食べさせてやりたいのだ」"


フォルクローレとの出会い

 3年前だと思うが、仙台の駅前のペデストリアンデッキで、3人のフォルクローレ演奏グループに出会った。このようなグループの人たちは背が低く、色が黒く、服装もどことなくさえない。人助けの意味で1枚CDを"買ってあげた"。2,3月放っておいたのだが、ある時ノートパソコンのCDドライブのチェックのために聴いてみた。一度聴いて「オッ」と感じ、何度も聞いてしまった。単におもしろい音楽というのでなく、心の底からこの音楽を好きになってしまった。その後、フォルクローレのLP、CDを片っ端から入手し、フォルクローレの演奏会にはできるだけ足を運び聴くている。ケーナ、サンポーニャといった素朴な管楽器の音色、チャランゴのなんとも形容方し難い魅力の音色、リズム形式の豊富さと楽しさいいのである。

 昨年、コンドルカンキというグループの1992年の日本公演のビデオを入手した。なかでも「 Indio soy」という歌がとても印象に残った。インディオの抵抗運動の歌ということであるが、ワルツのリズムの、少しうら悲しいメロディーがとてもいいのである。さらに、歌詞を読んで驚いた。語りの部分もあり、かなり長い(36行)のだが全文を紹介する。

(関係代名詞の為、訳の行が入れ替わっているところがあります。)


Indio soy, y no me compadezcas.  私はインディオ 同情はいらない        

Estas son monedas que no valen nada  同情なんて役に立たない小銭               

y que dan los blancos como quien da plata. 白人たちがまるで銀貨でもあるかのようにくれる  

Nosotros los indios no perdemos nada, われらインディオはなにも失わない      

pues faltando todo, todo nos alcanza. なんにもなくって なんでも用が足りる  

Dejame en la puna vivir a mis anchas,  高原で好き勝手に生きさせておくれ  

trepare por los cerros detras de mi cabras,  山羊たちを追って山に登ろう          

arando la tierra, tejiendo los ponchos,  畑を耕し ポンチョをつむぎ        

postando mi llamas y echar a los vientos  リャマが草をはむあいだ 風に飛ばす

la voz  de mi quena. わがケーナの声                        

Dices que soy triste, que quieres que haga?  私が悲しげだというのか? それがどうした? 

No dicen ustedes que el indio es sin alma  あなたたちが言ったのではないか インディオは

y que es como piedra sin decir palabas  魂を持たず 物言わぬ石のようだと

y llora por dentro sin mostrar las lagrimas?  涙を見せず心の中で泣いていると   

Acaso no fueron los blancos venidos de Espana  スペインからきた白人でたちではなかったのか

que nos dieron muerte por oro y por plata?  金銀のために私たちに死を与えたのは?

no hubo un tal Pizarro que mato a Atahualpa  素敵な嘘の約束をしてからアタウアルパ皇帝を

tras muchas promesas bonitas y falsas?  殺したピサロという人がいなかったか?


Entonces que quieres?,   それなのに何を望む    

que quieres que haga?  私にどうしろと言うのだ 

que me ponga alegre como dia de fiesta  親方が私に払ってくれる4センターボで

por cuatro centavo que el patron les paga  お祭りの日のように楽しくなれと言うのか

y quieres que ria, mientras mis hermanos  笑えと言うのか 私の兄弟は 

son bestias de carga llevando riquezas  他人がしまい込むための富を

que otros se guardan  運ぶ獣にすぎないというのに

y quieres que la risa me ensanche la cara  満面の笑みを浮かべろというのか

mientras mi hermanos viven en las montanas   私の兄弟は山に住んで         

como topos, escarva y escarva,  もぐらのように 掘っては掘って‥

mientras se enriquecen los que no trabajan  働かない人間はお金持ちになるのに 

y quieres que me alegre mientras mis muchachas  私に楽しくなれというのか 私の若い娘たちは

van a casas de ricos lo mismo que escalvas.  女奴隷のようにお金持ちの家に行くのに

Indio soy, y no me compadezcas.  私はインディオ 同情はいらない

(*へ)

Dejame tranquilo que aqui la montana  私を静かに放っておいておくれ ここでは山が  

me ofrece sus piedras acaso msa blandas  私に石ををくれる それはおそらく 

que esas condolencias que tu me regalas.  あんたが贈ってくれる憐れみの言葉より柔らかい

Indio soy, y no me compadezcas.  私はインディオ 同情はいらない


グループリーダーの娘、ビビアナ(当時17歳)が500年のインディオの歴史を背負って歌うのである。舞台姿も美しい。

後半はポトシ銀山での奴隷労働のことを言っている。事故、塵肺、珪肺で次々に死亡し、"インディオの肺を銀に変えた" と言われた。


ワンカル著「先住民族インカの抵抗500年史」

 今年の5月に連休に東京に出掛けた。時間があったので上野公園の美術館へ行こうと思った。公園の石垣の下の古本屋にたまたま入ったのだが、偶然この本に出会った。著者はインカの末裔のケスワ(ケチュア)人、インディオである。ラス カサスの場合、スペイン人による侵略、虐殺を外側から見ている。この著者は内側から、虐殺される側、絶望的な戦いを続ける側から記している。

 著者の現状の認識は、"ケスワイマラ人の大地に居座ったヨーロッパ人の共和国" という見出しに端的に言い表されていると思う。

 この本で知ったのであるが、コンドルカンキ、トゥパック アマルという名は、インカの抵抗戦争の英雄とし、記憶に刻み込まれている特別なものであることを知った。ペルーの日本大使館を占拠し、皆殺しにされた人たちがトゥパック アマル革命軍団と名乗っていたのである。フォルクローレを演奏していたペルー人のグループにFujimori(フヒモリと発音)大統領のことを聞いたことがあったが、嫌われている印象を受けた。

 この本の「日本語への序文」は非常に印象的で、意味深い。是非一部を紹介したい。

 "これまでの人類の生活の大部分を人々は「自然」とともに、自然の内部で生きてきた。そこでの教育は自然と共存するために生命の恒久の諸力を理解し、いかに観ずるかを学ぶことにあった。"(途中省略)

"エホバは、人間によって、心ではなく、脳によって、冷たい理性によって、そして人間のビジネスのための道具として、作り上げられた。それが、その神が優しさ、喜び、善意、愛を欠いている理由である。自然から分離された人間の心は狭く、固く、残忍なものとなる。"


 インカを含め、南米の歴史がもっと知られることを願うのである。ヨーロッパ、アメリカ文明が秘めた貪欲さ、残酷さが理解されるのである。

 四大文明といわれるものはすべて都市文明である。自然を壊さないように、自然に逆らわないようにして永続した南米アンデスの文明は、この特異性からも、もっと知られ、評価されることを願うのである。

(引用の歌詞は CD ビクター VCP-200の解説書のものです)




上のVHSビデオ、CD(ビクター VCP-2000)に「私はインディオ(Indio Soy)」が収録されております。


Viviana Careaga  さんはご健在です。 Caen las estrellas(カエン ラス エステレジャス、星が落ちて?)というタイトルの素敵な歌が聴けます。歌詞がわからないのが残念です。


この曲(Caen las estrellas)については「趣味の資料」の部屋に続きがあります。


7/04 '12 Viviana Careaga さんがYouTubeにチャンネルを持ち、1992年の日本公演のビデオをアップロードされています。やはり、Indio Soy はありません。
「五木の子守歌」がありました。
他のビデオをみますと、広い体育館のようなところで、ござ敷きの会場です。
YouTube ビビアナ カレアガとコンドルカンキ  五木の子守歌

indiosoy1_2.jpgindiosoy2_2.jpg

NPH混合インスリン製剤、ノボラピッド30ミックスフレックスペンの攪拌不足でおこること

大崎市医師会報 第95号(平成22年10月25日発行)に寄稿したものです。一部図表が足りません。最下部にある画像を印刷しておよみください。


NPH混合インスリン製剤、ノボラピッド30ミックス注フレックスペンの撹拌不足でおこること


                           さとう内科循環器科医院

                             院長 佐藤 荘太郎

  私が恐る恐る糖尿病の患者さんにインスリンの自己注射の指導してからもう15年くらいになるでしょうか。そのころはカートリッジ式のノボペンIIとノボリン30Rのカートリッジだったと思います。
現在でも、
インスリンの自己注射を導入するとき、"とりあえず"、ノボラピッド30ミックス注フレックスペン選択になると思います。 食後高血糖に対する超速効型インスリンと、基礎分泌インスリンを補う中間型インスリンを含んでいるという納得、また日2回、朝晩食前注射という指導のし易さから選ばれるもの思われます。
 
ノボラピッド30ミックス注フレックスペンは、超速効型インスリンアナログ:インスリンアスパルト製剤ですが、30%がフリーの超速効型インスリンアスパルト、70%が中間型のNPH結晶インスリンアスパルトとなるように設計されたものです。
  速効型インスリンの理解は容易と思われます。皮下に投与されたインスリンは、6量体から、2量体、さらに単量体と解離し、毛細血管の血流に入ります。この過程を速くしたものです。一方、NPHインスリンはわかりづらいものです。インスリンの歴史を振り返りながらNPHインスリンの解説をまとめてみました。

  1921年にインスリンが発見され、22年には糖尿病の治療に使われるようになりました。精製したインスリンは、糖尿病の治療のためには効果の短いことが悩みでした。インスリンは血流入ると速やかに分解されるためです。インスリンの効果を持続させるためには、インスリンを結晶の形で皮下に投与し、解離と毛細血管血流内への移行を遅くすればよいと考えられたわけです。
  歴史的には、
大きく二つの方法が編みだされました。ひとつ、酸性タンパクであるインスリンに、成熟サケの精液からとられた塩基性タンパクのプロタミンを加えて塩の結晶するものでした(1936)。もうひとつはインスリンそのものを結晶化するには亜鉛が必要とわかり(1926)、亜鉛を加えて結晶化および懸濁するものです。
  インスリンにプロタミンを加えて結晶化する方法は
デンマーク人のJensen内科医Hagedornによって研究されました。インスリンプロタミンの飽和化合物がもっとも優れた性質を持つことがわかりました。そのため、このインスリンはisophane insulin とも呼ばれます。Hagedorn博士はこのインスリンをNPC インスリン(neutral protamine crystallin insulin)と呼んでおりましたが、アメリカのFDAは、Hagedorn博士の研究に敬意を表し、NPH インスリンと呼ぶことを提唱しました。NPHは、Neutral Protamine Hagedornの頭文字です
 
  NPHインスリンは微小結晶を形成し、
溶液中では解離しにくく安定しています。さらに、その溶液にレギュラーインスリンを加えた場合、レギュラーインスリンの速効性の性質が失われません。速効型と中間型の特徴をもつ、安定した混合インスリンが得られます。レギュラーインスリンは食後の高血糖を抑え、NPHインスリンは基礎分泌を補います。使いさから、日2回用、あるいは回用のインスリンとしてベストセラーになりました。現在でも、中間型インスリンとしては、超速効型インスリンアナログをNPH結晶化しているわけです。
  亜鉛を加えて結晶化懸濁化し
、インスリン作用の持続期間を長くしたものレンテ系のインスリンです。持続が長いといっても(16~20時間)、インスリン効果はフラットでなく、おおきな山があり、基礎分泌インスリンの代わりにはなりえませんでした。現在、日本では発売されておりません。
 
  20数年前のことになりますが、私にとっては、
塩酸プロタミンは心臓カテーテル検査の終了時にヘパリンの作用を中和するために投与する、なじみの深いものでした。この場合も、ヘパリンは酸性の物質です。現在、硫酸プロタミン販売は持田製薬ですが、ノボノルディスクファーマ社で製造されています。サケの精液が世界最大のシェアーをもつインスリン製薬メーカーの土台を造ったということでしょうか。

ノボラピッド30ミックス注フレックスペン冷蔵庫に保保管しておきますと、NPHインスリンの微小結晶が沈殿いたします。図1はノボラピッド30ミックス注フレックスペンを立てて冷蔵庫に保存しておいたものです。未使用のため、ピストンゴムは外囲プラスチックに隠れて見えませんが、その上に、白色の沈殿したNPH結晶インスリンが見えます。透明な上澄部分にはフリーのインスリンアスパルトがまれていると考えられます。

(図1、本文と異なり、未使用のものではありません)


目盛りより、沈殿部分の容積は約0.3mlです。そこに210単位のNPHインスリン活性が集中していることになります。残りの90単位のインスリン活性は、上澄部分の2.7mlに分布することになります。そうしますと、沈殿部分のインスリン活性濃度は、210単位÷0.3mlで、700単位/ml、上澄部分のインスリン活性は、90単位÷2.7mlで、33単位/mlとなります。

上の検討で得られた数字は以下の検討にとって極めて重要であります。それらが正しいかどうか、8月上旬、ノボノルディスク本社のメディカル&サイエンスアフェアーズ部に、図1~図3を添えて問い合わせをいたしました。しかし、10月上旬の時点で、まだ回答をいただいておりません。そのため、上の計算の数字を用いて議論をすすめます。


  図2は、図1とは逆さまにして、注射針の装着部に結晶を集めたものです。その状態を保ったまま針を装着し、実際の注射を模して、テストのため2単位、注射のため10単位をスライドグラス上に射出してみました(図3の下のスライドグラス)。この射出されたものをアッセイすれば計算が正しいか確認できるはずです。
   のあと撹拌して均一化し、同じように注射を模して射出してみました(図3の上のスライドグラス)。前の操作でNPH結晶インスリンが射出されてたため、その比率は相当下がっております。どちらの場合もスムーズにインスリンが射出され、針が詰まったような感じは全くありませんでした。

  冷蔵庫に長期保存しておいたノボラピッド30ミック注スフレックスペンでは、予想以上に撹拌混合され難いものです。先端を下に向けて振った場合、全く撹拌されないばかりか先端の針装着部のほうに結晶インスリンが集まってしまい、それを注射してしまうという、最悪の事態を招きかねません。上の計算で示しましたように、極端な場合、結晶インスリンだけが注射された場合、指示量の7倍のインスリン、それも中間型インスリンばかりが注射される可能性があります。結晶インスリンの含まれない、透明な部分が注射された場合、インスリン活性は指示量の1/3で、超速効型インスリンばかりとなります。
  撹拌不足では、速効成分、中間成分の比率が変わるだけではなく、このように、インスリン活性量が大幅に異なりうるのです。撹拌されていない状態は目で見てすぐわかりますから、上の7倍の例はありえないとしても、2,3倍のインスリンが投与される可能性は十分ありうると思います。
  
  NPH
インスリン製剤の撹拌不足の問題は新しい問題ではありません。図4はPeter M Jehle 他、"Inadequate suspension of neutral protamin Hagedorn (NPH) insulin in pens. The Lancet Vol. 354, November 6 1999 のものです。この論文は、途中まで使ったペン型混合インスリン製剤、NPHインスリン製剤残存NPH結晶インスリンの比率、図1と同様なやり方で測定しております。年代的にはレギュラーインスリンをNPH結晶化した製剤のものです。
  十分に撹拌してインスリンを注射していた場合には、NPHインスリンの比率は使用開始のときと同じですから、残存インスリン比率は100%となるはずです。
残存NPHインスリン比率の少ないカートリッジやペンデバイスでは、NPHインスリン成分の多い部分をすでに注射してしまった、逆にNPHインスリンの多く残存していたものは、非結晶のインスリンの多い部分を注射していた、ということになります。
  図
から、NPHインスリン残存比率が低いものが多いことが読み取れますが、使用の前半ではNPHインスリンの多い部分が注射されていることが多い、ということを示しています。また、新しいインスリンペンの使い始めに低血糖が多い、ということが知られております。インスリンの自己注射について十分な指導を受け、手技が確認されている患者さんと、そうでない患者の間でもあまり大きな差はなかったことも論文に記されております。
 
  私が診ていた患者さん(84歳男)が、朝食前にノボラピッド30ミックス注フレックスペンを34単位射ち、昼食をとらなかったようですが、7時間後車の運転中に低血糖となり、堤防の上の道路より転落する事故を起こしてしまいました。怪我はありませんでしたが、軽乗用車は大破してしまいました。確かに34単位はインスリン量として多いのですが、コントロール不良で血が700mg/dlにもなったことのある方であり、直近の検査データは、Hb-A1c 9.5%でした。ノボラピッド30ミックス注フレックスペンのインスリン効果にしては遅すぎる、強すぎると疑問を持っておりました。

上の検討で、撹拌が十分でない状態で、NPHインスリンの結晶が針装着部に溜まったものを注射するならば、34単位をはるかに上回るNPHインスリンが注射されることがありうる、さらにNPHインスリンの最大効果は5時間目あたりになることもあわせてもしかしたらそうでないかと、一応の納得がえられました。

確実な撹拌のために、ノボラピッド30ミックス注フレックスペンの注射筒には直径3mmくらいのガラス球が1個入っています。これはNPHインスリンの撹拌時に極めて重要な働きをいたします。効果的に撹拌するには、このガラス球を先端からピストンのゴムの部分まで往復させることが肝腎と思います。

ノボラピッド30ミックスフレックスペンの添付文書には、冷蔵庫より取り出して初めて使う場合には、図5-Aのように攪拌するように書かれております。ノボラピッド30ミックスフレックスペンを水平に保存しておきますと、NPHインスリン結晶の沈殿自体が硬くなり、管壁にも硬く付着しているためです。

ところで、ペン型インスリン注射器が水平に保存されているとは限りません。立てて置いた方がスペースをとりません。その場合、容量設定のダイアルをつまむ都合上、先端を下にして差し込むはずです。その結果、インスリン結晶はペンの先端部分に集まります。このような場合には、図5-Aの方法は、攪拌に有効ではないのでないか、と考えられます。注射針の装着部にインスリンの沈殿が残って、最悪の場合がおこりかねません。

2回目以降の使用時には、図5-Bのように、肘から大きく振って攪拌するように書かれていますが、これも感心しません。実際そのようにやってみると、5~6回も振ると、もういいだろうという気分になります。この方法では、撹拌の基本となるガラス球の往復の回数がかせげません。

前の論文では、交互に傾ける(tipping)方法がよいと述べられております。その場合、最低20回の tipping が必要と指摘されております。前の論文を補うような内容の、Lancet 誌の編集者への手紙があります(Ester Laubach 他、Lancet Vol 355 January 15 2000)。内容は、撹拌後のインスリン溶液の均一さを光学的な手法と、インスリン活性をアッセイする方法で確認した、やはり20回以上の tipping が必要である、というものです。

  患者に説明するときには、まず、ノボラピッド30ミックス注フレックスペンには、非常に溶けにくい結晶のインスリンが含まれていること、撹拌不足で結晶インスリンばかりを注射すると低血糖になることがあること、と説明いたします。  つぎに、内部のガラス球を使って撹拌することを説明しますが、ガラス球の動きを頭においておけば、どう動かせばうまく撹拌できるかわかるはずです。水平に持って、20回以上、ゆっくりと交互に傾ける(tipping)必要があると説明しております。
  まず、図6-Aのように数回~10回ほど軸方向に振ります。急加速、急減速することにより、ガラス球を先端部およびピストンゴムに衝突させます。この操作で、特に問題となる、注射針の装着される先端部分の沈殿の付着をなくします。
  このまま20回以上振ってもよいのですが、図6-Bのように、水平に持って、交互に20回ほど傾ければ十分な攪拌が行われるはずです。


この文章をまとめるにあたって、ノボノルディスクファーマ株式会社より、論文の検索のサービスと論文のコピーの提供を受けましたこと、感謝申し上げます。
また、NPHインスリンについては、後藤由夫氏の記事 (http://www.club-dm.jp/)、レバノンのノボノルディスクファーマ株式会社のホームページの記事を参考にいたしました。
図6-A、図6-Bはフォルムデザインの高橋好文氏につくっていただきました。
感謝申し上げます。

【後日談】

10月のある日、ノボノルディスクファーマ株式会社のMR氏が尋ねてきた。ノボラピッド30ミックスフレックスペンの攪拌が難しいという話をした。ちょうど冷蔵庫に図2の状態のものがあったので、彼の目の前で図5-Bのやり方で10回振ってみた。先端部にインスリン結晶の沈殿が残っていた。

kakuhan1_2.jpg

  kakuha2_2.jpg

kakuhav3_2.jpg


kakuhan4_2.jpg

コンテンツ

  • 子宮頸がんワクチンの副反応の本態は"ASIA"
  • 「私はインディオ(Indio Soy)」 という歌
  • NPH混合インスリン製剤、ノボラピッド30ミックスフレックスペンの攪拌不足でおこること
  • このアーカイブについて

    このページには、過去に書かれた記事のうち大崎市医師会誌に発表した文書カテゴリに属しているものが含まれています。

    前のカテゴリは医院案内です。

    次のカテゴリは子宮頸がんワクチン接種に反対です。

    最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。