2012年6月アーカイブ

ガーダシルの犠牲者の記録(4)

ワクチンの接種対象年齢(12~13歳)より、また被害を受けたお子さんが具合が悪いために、saneVAXの犠牲者の記録は、母親によって、あるいは母親へのインタビューによって書かれている場合が殆どです。
そのなかに、副反応の被害を受けた方自らが語ったもの、自らが書かれたものがあります。

Taylorさんは、てんかん、けいれんの起こる恐怖、またそれによってもたらされる種々の失望を語っておられます。感情の変化についても語っておられます。

 Crissey さんの場合、痛みのひどさ、感情の変化がわかる貴重なものと思います。また、医師との関係についても書かれており、被害を受けた方の弱い立場を訴えられております。
彼女が、ガーダシルのことを「毒 (toxin)」と表現していることは、犠牲者の感情としては当然だと思います。
私も、「医師が毒を注入している」という現状を認識すべきだと考えております。
国が「毒」を注入するように推めていることは本当に理解に苦しみます。
一刻も早く中止命令を出すべきだと考えております。

Kristin さんの場合、積極的な運動療法と、ヒト免疫グロブリンの点滴注射で症状が改善したということで、翻訳紹介いたしました。 小脳失調の症状が語られており、大変参考になります。


Kirstieさんの記録は、自分の言葉で述べたものではありませんが、ワクチンの副反応の一つの血小板減少性紫斑病(ITP)の例として紹介いたしました。血小板は末梢血管から小さな出血を止めるためのセメントのような役目をします。ワクチンの接種により免疫が混乱し、血小板に抗体を作って破壊してしまうため、出血がおこりやすくなります。文章の終わりの方でわかりますが、軽症になったものの、治癒していないようです。


カースティー(Kirstie)さん、 ニューヨーク州リマ出身

(PDFファイルでお読みいただけます。


Kristie.png

2011年11月22日

カースティの母、シャロンさんによる談話

ガーダシル以前のカースティーの人生は、とても多くの活動に満ちていました。ドッジボール、夏のレクリエーションでのゲーム、サッカー、バスケットボールにソフトボールなど。彼女は音楽にも非常に才能があって、クラリネット、サクソフォン、ウクレレ、ピアノを弾き、学校のコーラスではいつも歌っています。カースティーは積極的にミュージカルの授業と学校の演劇部に参加しています(学校の演劇やミュージカルで主役をしたことがあります)。彼女の夢は、歌を仕事としたり、音楽関係の職業に就くことです。彼女は幅広い興味を持った優等生です。幸いなことに、音楽の面では彼女の人生はガーダシル接種後の健康問題の影響を受けていません。

カースティは2007年4月23日に1回目のワクチン接種をし(当時12歳)、その時は何もおかしなことはありませんでした。その後2-3週間のうちに、大きな黒っぽい痣が腕と足にでき始め、私はそれをサッカーや(彼女はゴールキーパーでした)ラクロスのせいだと思いました。夫は痣のことを心配し始めていましたが、私には何も言いませんでした。5月29日に彼女は2回目の接種を受けました。この時もあったのは痣だけでした。6月17日、彼女にとって2回目の月経が始まり、10日続きました。6月18日、私は連鎖球菌咽頭炎の検査のために彼女を医者に連れて行きましたが、結果は陰性でした。ナース・プラクティショナー(一定レベルの診断や治療などを行うことができる上級の看護師)は痣についてコメントし、カースティがスポーツをすることを言いました―彼女は痣については心配していませんでした。

6月29日に遊園地にいた時、カースティは膣から出血し始め、それが2時間続きました。出血は止まりましたが、翌日また始まり、2時間ずっと出血が続きました。7月2日の月曜日、私は彼女をかかりつけの小児科医院に連れていき、そこで血小板数が非常に低い(18,000)ことがわかりました。私達は、直ちに小児血液専門医に診てもらうために病院へ送られ、そこで彼女は特発性血小板減少性紫斑病(ITP)だと言われました。

カースティはHPVワクチンをした以外に変わったことはしていないと私が言うと、医師は、その月に自分の孫娘が1回目を受ける予定だから、これはちょっと考えなくてはならないといいました。ワクチンが娘のITPの原因である可能性が確かにあることを彼が述べたのはこの時だけです。ITPの原因は誰にもわからず、またITPはウィルスによって起こることがあると考えられていたので、この時カースティがウィルスに感染していると診断されたことで、原因はワクチンではないと医学の専門家が考えるには十分でした。けれど、そのウィルスは、もしそれが存在したとしても、カースティが接種を受ける前には現れなかったのです。

その年の夏はずっとカースティの血小板数は下がり続け、7月末に彼女は血小板数のレベルを正常値に上昇させる治療を受けました。治療は30日ほど続き、その後の血小板数は数か月間低い値でした。ITPのせいでカースティはサッカー、バスケットボール、ソフトボールのシーズンをいくつも逃しました。去年(2010年)は彼女は全てのシーズンに参加できませんでした。現在の血小板数は低すぎてスポーツはできません。彼女は鼻血が出たり、極端な痣や出血に苦しんではいないので、彼女の状態は私達が血小板数を検査しなければわかりません。

私達はラッキーでした。2010年の春、彼女は伝染性単核球症(EBウィルス感染症)にかかったのですが、彼女の血小板数はそれほど下がらず、早く治りました。カースティはITPで体調が悪いわけではないのです。ITPが影響するのは本当に、相手の体に接触するスポーツをするときだけなのですが、それは彼女の人生の大きな部分なのです。私達はもちろん、彼女の状態がよくなり、健康に戻り、好きなこと全てをまたできるようになることを願っています。

(REFLEX Corp. (名古屋) 様 に翻訳していただきました。感謝申しあげます。)



インディアナ州、テイラーさん

Taylor.pngインディアナ州、テイラーさん:

テイラーさんは第一回のガーダシル接種からわずか3週間で発作を起こし始めました。添付文書には、ガーダシルの投与によって重篤なアレルギー反応を起こした場合、一連の接種を中止するべきであると明確に書かれています。ある人にそれまで一度もなかった発作が起きたとしたら、重篤なアレルギー反応の兆候だと考えるでしょう。それにもかかわらず、彼女の医師は一連の全ての接種を続けたのです。


ここにあるのは彼女自身が語った談話です。

「07年の8月の終わり、私はガーダシルの予防接種を受けました。ほら、子宮頸がんを予防するための予防接種で、コマーシャルでいつも最後に'one less'(1人減る被害者)って言って終わるやつ。残念ながら、私は結局、1人増えた被害者になっちゃった。1回目の予防接種を受けた後、3週間くらい後で私の最初の発作があったの。そこからだんだん、悪くなっていった。

お医者さんは、この予防接種が私の異常の原因になっていることはありえないって私たちに言ったから、当然、それを信じて、私は後の2回の注射をしたの。それなのに、症状はだんだん悪くなっていった。そして今、3年半以上経ったけど、私はまだ異常が残ったまま。

発作が最初に起こったのは私が13歳の時。どんなに恐ろしかったか、まだ覚えてる。ちょうどクロスカントリーのレースを終えたところで、しかも結果は私のシーズンベスト記録の1つ。突然、すごくめまいがし、体が震えた。数秒間気を失ってて、それからベンチに座るために中に入ったの。突然、私はガタガタ震え始めて止まらなくなった。

起こったことは全部詳しく思い出せる ー もう2年半前以上も前のことだけど。女の人が来て、私の体に腕を回し、励まして、話しかけてくれた。全然知らない人だったけど、親切に私のところに来て助けてくれた。

私がどれほど怖かったか、まるで想像がつかないでしょうね。でも大会の後で両親に話したら、何とか怖さを払いのけてくれた。その時は、ただ、ものすごくハードに走ったからだと思ったんだけど。これは2007年の9月8日のことでした。

発作が始まってから2年半くらい経ったころ、友達の1人でキャリーと言う名前の子も発作を起こし始めたの。キャリーは私と同じユースグループで、1回目の予防接種を受けたところだった。彼女の発作はものすごくて、本当に、腫れるまで手首を打ち付けてた。

いろんなことがすべてつじつまが合い、わかってきたの。私たちはどちらも、注射を受けてから2週間後に発作を起こした。私たちはどちらも全く同じ経験をしていた。でも一番の運命の皮肉は(前にも言ったけど)私たちは同じユースグループにいたこと。こんなことが起こる確率って、百万分の一くらいじゃない?だから私のママは、キャリーのママと一緒に、広い範囲の調査を始めたの。思った通り、ママたちが見つけたことはすべて私たちの話を裏付けました。

私は感情の起伏がとても激しくなっています。1週間何も異常がないかと思うと、次の週は発作が10回起きたりする。ソフトボールの試合でシーズンベストのヒットを打ったと思えば、外野で発作が起きて膝をくじいたり―それで私のソフトボールシーズンは終わりで、それっきり2年経っちゃった。

今年はトライアウトのことを話したり、次の試合のことで興奮している子たちみんなを見てつらかった。私にはできないってわかってたから。マネージャーにさえなれない。そりゃ、試合には行けるけど、チームの一員として行くのとは絶対に同じじゃないし。大好きだったことをあきらめるのは、たぶん、私が耐える体の痛みよりもつらいことだと思う。」


テイラーさんはこれまで長く苦痛に満ちた日々を送ってきました。彼女の発作は予想することができません。時には何か月も発作がないかと思えば、その後ですさまじい発作がぶり返したりします。もう、大好きだった活動の多くは参加する事ができません。

ガーダシルを接種して3年半経った後でも、彼女にはまだ極度の偏頭痛があります。彼女は新しいアレルギーができました―グルテン、乳製品、カゼイン、砂糖、大豆、人工香味料、加工食品、等々...ガーダシルを受ける前は、彼女はオールAの優等生でした。今はそうではありません。

テイラーさんは、ガーダシルが、人生で最良であるべきであった数年を自分から奪ったと思っています。

テイラーさんだけではありません。2010年12月現在、ワクチン有害事象報告制度(VAERS)では、942件のガーダシル接種後の発作または痙攣の報告があります。

少なくとも20年経たなければ子宮頸がんの発症率を減少させると証明できないようなワクチンを、健康な若い少女たちに集団接種することを、医療の専門家たちは一体どう正当化できるのでしょうか?アメリカでは子宮がん検診や適切な経過観察によって、発作を起こすことなく、安全で効果的に、子宮頸がんを減らすことができるというのに。

医療を受ける側は、病気を抑制する安全で効果的な方法が利用できる場合には、危険性を許容するべきではありません。全てのワクチンにはいくらかの危険性が伴います。子宮がん検診で死んだ人は1人もいません。

(REFLEX Corp. (名古屋) 様 に翻訳していただきました。感謝申しあげます。)

("ガーダシルを受ける前には、彼女はオールAの生徒でした。今はそうではありません。"というところに注目しなければなりません。単にけいれん発作で学習に集中できないのではなくて、ワクチンの副反応の脳炎によりダメージを受け、学習、記憶能力が低下していると考えなければならないでしょう。似たような記述は、ジャスミンさん、サミさんにありました。下のクリシーさんにもあります。管理人)


サラさん、ユタ州

Sarah.png19歳の時のサラさんはすべてが順調でした。彼女はブリガム・ヤング大学へ全額給付の奨学金で通い、社会福祉を専攻し、副専攻で女性学を取っていました。学業面での才能に加え、彼女は何年もダンスをしていました。彼女は申し分なく健康で、喫煙や飲酒をしたこともなく、健康的な食事をし、日頃から運動をしていました。彼女は男性経験もありませんでした。つまり、彼女が子宮頸がんになるリスクは極めて小さかったのです。

彼女は大学でHPV 感染の潜在的リスクとガーダシルの予防接種のメリットを説明したHPVパンフレットを受け取りました。そのパンフレットに記載されていたガーダシルの副作用は、接種場所の痛み、発赤、それからおそらく失神だけでした。サラさんが内科医で年1回の健康診断を受けた時、医師は、彼女の履歴やライフスタイルから子宮頸がんの潜在的リスクは非常に低いにもかかわらず、サラさんにはガーダシルが必要であると断固として主張しました。サラさんは、家族に子宮頸がんの病歴はなかったのですが、医師の助言に従いました。1回目の注射では、痛みが強かったのですが、その後これといった副反応はありませんでした。

2007年1月、2回目の注射を受けた時、その後どんな事が起こるかサラさんには全く見当もつきませんでした。サラさんは季節性のインフルエンザワクチンと同時に2回目のガーダシルの投与を受けました。
1週間後、サラさんが目覚めたとき、彼女は痛みで動くことができませんでした。彼女はベッドから起き上がることができませんでした。4時間後、ルームメイトが彼女を見つけ、彼女は病院に担ぎ込まれました。それは、彼女がそれ以来ずっと体験してきた事の始まりに過ぎなかったのです。
サラさんは今、免疫システムに重大な障害があります。彼女の白血球数はほとんどゼロにまで低下しました。内科医の言葉によると、彼女の免疫システムはほぼ根こそぎ破壊されているということです。彼女は慢性的な疲労に加えて重度の慢性的な痛みをかかえています。サラさんは、以前は問題は一切なかったのに、あらゆる薬剤に対して極度に敏感になっています。全く寝たきりで何もできなくなったことが何回もあります。
彼女にガーダシルの副作用が生じたと担当医師たちが認識するまで3ヶ月かかりました。彼らは直ちにVAERS(ワクチン有害事象報告制度)に報告書を提出しました。彼らはまたメルク社に連絡を取ろうと1年以上試みましたが、できませんでした。電話は全く無視されました。
この話のおまけは、障害の原因がワクチンの被害であると断定されるや否や、インターマウンテン・ヘルスケア(IHC)1)は、彼女の症状が彼らのクリニックの1つで投与されたワクチンによる副反応により起きたことに対して一切責任を負ったり認めたりしないことでした。ヒポクラテスの誓い2)なんてこんなものです。
サラさんはまるで他人の体の中で生きているように感じています。毎日、目覚めると、自分はいつか普通の体に戻ることがあるのだろうかと思います。
ガーダシル接種後のこれだけの体の不調にもかかわらず、サラさんはクラスの卒業生総代として大学を卒業し、現在は修士課程に入り、研究助手として働いています。サラさんは、ガーダシルの副反応に負けず、この世から「1人減る」3)ことにならなかったもう1人の若い女性です。

訳注:
1) アメリカの大手医療サービス機関。
2) 医学校で行われる医師の倫理に関する宣言
3) 原文one less。 ガーダシルのテレビコマーシャルでは、この言葉が繰り返され、1人の少女の接種により子宮頸がんの被害者が「1人減る」ことを謳っている。

(翻訳協力:REFLEX Corp. 名古屋 様)



クリッシーさん 27歳 ノースカロライナ州

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Crissey.pngCrissey D Meeks

私の名はクリッシー ミークス、27歳です。ガーダシル注射後の不可解な症状を持っている、沢山の10代の少女がいることは知っています。私の経験を、この少女たちと世界とで共有してもらいたいと思いました。みなさん、医師、両親、政治家の人たちに、毎日毎日、罪の無い犠牲者に毒が注入されているという現実に目覚めてもらう必要があります。(People, doctors, parents, and politicians need to be aware of the toxins they are pumping into innocent victims on a daily basis.)。ガーダシルが注射される前は、私は完全に普通で、若く、精力的な、活力みなぎる女性でした。それは、自分の生活を愛し、十二分に生きていたということです。私は典型的な(21歳を超えた)成人で、とても社交的で、外に出かけ、とても活動的でした。きっかけはPAP(子宮頸がん検診)で異常だったことでした。私の産婦人科医師はコルポスコピーをやり、処置が施されました。婦人科医に結果を聞きにいったとき、HPVワクチン接種を受けておくことはとても利益がある、と語られたことでした。あなたも知っているように、彼女(医師)は、耳によいことばかり告げられました。どのように子宮頸がんを予防し、それは(がんから)自由になることで、基本的に勝利で、勝利の状況であると。

私はパンフレットを読み、人生で最悪の決定をしました。2007年5月11日、第一回目の注射を打ちました。それが腕に入るや否や、焼けるような感覚が腕から体に突き抜けるのを感じました。注射のあと、診療所をあとにし、仕事に戻りました。右腕はとても痛み、でも、腫れたり痛むのは普通のことと見なしていました。そのあと、私の人生が変わるなんて殆ど知りませんでした。私の右半身は一週間以上ひどく痛みました。右腕の注射部位に、しこりが出来ていました。

まだ、それは正常な反応だと考えて、気にしなくなりました。2007年6月8日ごろから、少し変な気分がしてきました。正確には説明できません。胃が痛く、一日中チクチクと痛く:でも私はやっていることをやり続けました。兄弟がインドにに出発するので、9日に私の家に集まってお別れ会を行う計画していました。

何もかも慌ただしく走り回らなければなりませんでした。土曜日の朝、すべての準備を始めなければなりませんでした。私は恐怖感を感じ、あまりに痛く立ってられない程でした。とても腹が痛み、金曜日の朝から何も食べていませんでした。食欲がありませんでした。家族、友人が集まり始めました。食べ物がふんだんでした。何も食べる気になりませんでした。妹が私が食べないことに気がつきましたが、おなかがすいてないと言いました。

私は疲れて、ひどく痛んでました。次の日の朝はもっと悪くなっていましたが、日曜日なので、教会へ行くのが日課となっていました。私はこのときのことを昨日の様に覚えています。赤の袖無しのサマードレスを着て、教会へ向かいました。私の車のギアは5速で、運転して死ぬところでした。いたる所が痛くなり、うつむいて運転していました。私の頭、目、腕、脚、腹があたかもバラバラになって落ちていく感じでした。教会の椅子に座っていてもとても苦しく、バスケットのなかの捧げ物を取り出せませんでした。教会をあとにし、私たちがいつも教会の後に集まるように、母の家にいきました。母は好物のローストとレモンケーキをつくってくれましたが、だれにも一言も声をかけず、私は痛いだけで、椅子に座っていました。誰にも私をかわいそうだと思って欲しくないので、誰にも私具合が悪いことを知られたくありませんでした。私は30分母の家に滞在して、ちょっと外に出て、あとにしました。帰るとき、さよならも言わず、何もせずに、帰りました、まわりに人がいて欲しくなかったのです。そして家でひとりになると、泣きました。

ドレスを脱ぐことすら出来ませんでした。ついに夜十時頃、母に電話し、どんなに具合が悪いかを話しました。母は、兄弟を呼んで私をERに連れて行こうかと言いました。しかし、そこに行ったとなると、必ず病院に連れて行かれます。私は長椅子に横になり、泣きました。

次の日の朝、痛みのまま仕事に出かけました。同じように具合が悪いのですが、自分自身を押して行かせました。机によりかかって座り、めまいがし、ゴミのように感じていました。30分いたと思います。家庭医に電話し、その日に来るように言われました。診察室につきましたが、彼らは真に何が悪いかわかっていませんでした。彼らは何か少しでも楽になることをしてくれるだろうと思っていましたが、不幸にしてそうではありませんでした。採血して、その週は仕事を休めといわれました。結果を聞きに行きましたが、専門医(リウマチ専門医)のところへ行けといわれましたので、そうしました。彼らは全く同じく、検査をし採血しました。もう一週間仕事を休みました。結果が出ると、彼らはLupus(全身性紅斑性狼瘡)だといいました。私は、それは私の問題だと考え(ワクチンのせだと考えなかった)、それを受け入れました。医者はいまの状態はコントロール可能(よくなる)といいました。

2007年7月19日、婦人科医のところにいき、2回目の注射をしました。まだ忘れられないのですが、最初具合が悪かったのはこのせいでした。実際、同様な症状があり、今でも、これらの震えがあります。今まで人生でこんなことは決してありませんでした。ある程度の時間をおいて、腕、脚が震え始めました。こんなことは正常ではないのですが、私はまだ無視していました。いまだに、関節痛、筋肉痛、頭痛、羞明がありますが、私は私の生活を続けようとしています。私は活動的でなく、何もしたくなく、何についても文句ばかりを言っていました。私の態度はすっかり変わりました。些細なことを忘れ、いつも怒っているように見えました。

2007年10月18日、3回目の注射。婦人科医師は夏休みで、看護婦がかわりに注射しました。ガーダシルを一方の腕に、デポをもう片方の腕に注射しました。2つを同時に射つなんてクレージーだと思いました。しかし、私は患者です。(私のような場合)一つ以上のワクチンを同時に打つのは駄目だと考えらていることは、知りませんでした。なので、今では両腕が痛みます。それでもまだ、私は決して事態を理解しようとしませんでした。

2008年12月です。私はまだ同じことをしていますが、悪くなり始めました。Lupus のせいだと思い、毎日痛みますので、医者のところへ再びいって、助言をもとめました。薬か効かず、毎日ホットバスに入っています。何をやっても疲れた感じになり、フックが外れた感じです。背中が痛み、首が痛み、振るえ、チクチクし、頭痛がし、めまいの発作があります。しかし、医者のところへいき、いろいろな検査をし、X線写真をとりました。結果を聞きに行くと、白血球が少ないこと以外は正常だといわれました。胸の写真になにかありましたので、胸のCT検査をうけましたが、何も見いだせませんでした。医師のところへ戻され、筋肉の酵素の検査をしましたが、それは高値を示し、筋肉に炎症があることを示しています。白血球数は正常になり、血清鉄は少し少なめでした。それで、鉄剤を服用しています。太陽の光のもとで、すべてのテストしました。ワクチンを始めたとき、月経周期が変わり、この一年、月経がきておりません。
2008年9月以来、私の月経サイクルはメチャクチャになりました。私には怒りの感情がこみあげ、ときどき自分でコントロールできません。2007年11月5日以前の自分と、人格がすっかり変わったようです。私は誰にでも怒りを爆発させていました。誰も、私の怒りの対象から例外はありませんでした。あるとき、自分はクレージーだと思いました。私は以前のクリッシーにもどりたいだけで、毎日頑張っているだけなのです。ときどき一人ぼっちに感じました。私には何かがおかしいとわかっていますが、医者たちに、ワクチンが原因だと認めさせられないとき、次はどこに行けば良いのでしょう。何をしたらよいのでしょう? そんなに大たいしたものではなかったけど、人生においては、私はかつては幸福だったのです。

今は、鬱病のようです、それから抜けだせません。心配やストレスは、ときに、ものすごいものです。

2009年2月19日、今は、いろんなことで定期的に医者を訪れています。いまは数箇所の医師を訪れています。私はあれやこれやと診断されています。あれこれ薬を飲んでいます。注射の前は私は健康で、医学的問題なんか無くて、とても活動的でした。今は、私はすっかり別人になってしまいました。、膵炎と診断されています。胃と小腸に潰瘍があります。物事を忘れてしまうとき、記憶が飛んでいます。腸が永いこと動かず、食べたものが消化されません。超音波断層検査、MRIの検査を受けました。私には9歳の娘がおり、成長するのを見たいので自分を奮い立たせています。娘を見るとき、頑張れるのです。

(管理人、訳者の意見:全文を訳しました。怒りっぽくなるという感情的な変化は、亡くなったニュージーランドの Jasmine さんにもみられ、副反応の症状の一つとして理解しておく必要があるようです。)




クリスティンさん  28歳 ニューキャッスル、オーストラリア

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Kristin.pngまとめ:私の名前はクリスティンです。28歳で、オーストラリアのニュー キャッスルに住んでいます。3年前、3回のうちの2回、ガーダシルの注射を受けました。これらの注射にひき続いて、無数の健康上の問題を堪え忍んできました。私の免疫系と神経系は"食べ尽くされ"ました。すなわち、神経を取り囲むミエリン鞘は融解し、私の白血球は白血球自身を攻撃し、小脳機能がスイッチで切り離されました。話すこと、歩くこと、、書くこと、食べることができませんでした。よく体が震えていました。私はADEMであると考えられ、12ヶ月間、免疫グロブリンの静脈内投与を受けました。自分の知っているようなかつての体の一部でも取り戻そうとして、痛みを伴うリハビリテーションや広範囲の運動を行いました。早いもので3年経ちますが、それはやる価値がありました。ほとんどの機能が回復しています。出来ないことが沢山ありますが、これらをとり戻すと決めています。最近、教育学の修士号課程(二次)を完了しましたし、、最も重要なんですが、小脳機能のスイッチが再びつながったのです。

これは奇跡であり、私の医師は唖然としました。 本当に、誰が脳の不可逆的損傷から回復したでしょうか!

私に出来ることはあなたにも出来ます。自分がそうあらねばならないと考えるまでは、自分がどんなに強いか分かりません。私が最悪だったとき、2つの選択肢がありました:おぼれるか泳ぐかです。泳ぐことを選択しましょう。あなたの人生をコントロールし、あなたがどんなに素晴らしいか皆さんに示しましょう。あなたの話を信じる医学の専門家を得てください、素晴らしい友人や家族に囲まれてください、さらに私の場合には、信仰を持って神を信頼したことは回復には不可欠でしたし、今でもそうです。

トンネルの終わりには - 列車でなくて - 光があります!あなたが誰かに話をしたい場合には、Facebookに私(Kristin ******)を追加したり、kristinclulow@*********宛てに私にメールしてください。

クリスティンのオリジナルな話:まず初めに、免責を述べなければなりませんが、ここはガーダシルの犠牲者に捧げらえたウェブサイトでありますが、私の種々の症状を直接的にワクチンと結びつける証明はありませんが、個人的な広範な調査および、高度に勉強した医学専門家は、一つの引き金としてガーダシルを指摘しております。

私は26歳です。 2008年の5月と8月 - ガーダシルを2回注射しました。この時から、私の人生が変わりました。病気になる前には、4つの異なる仕事をし(週あたり100時間超) -  ビジネス開発/マーケティング/イベントの領域のトップの会計事務所で働いていました、舞台芸術学校(450人以上のクラスの入学者)を管理し、新聞販売店の顧客サービス小売り部門で働き、納税申告書の準備をしていました。いつでも仕事の間を走り回っていました。 - でもそれが好きでした。21歳のとき最初の家を買い、それを改修し、もう一つの家、さらに3階建てビルを買いました。いつも次のプロジェクトを探して、絶えず活動的でした。ビジネスの学士号(労使関係/人事·管理の2つのメジャー)を持っていて、他の様々なコースも完了していました。職場の同僚や上司から高く評価され、常に優れた労働者であると考えられていました。音楽の能力と芸術的の能力にかなり優れていました。ピアノでは最後の段階まで進み、音楽の研究を終了し、指導資格を取得する計画でした。元気で健康的で、ほとんどのものに参加するおてんば娘でした。酒をのみませんし、たばこも吸いませんし、薬物もやりませんし、体に害を及ぼす可能性のあるようなものも摂りませんでした。肥満でありません(55kg程度)。外出、スポーツを好み、友人とは社交的でした。とにかく外向的で社交的でした。

2008年3月、最初のワクチン注射の2ヶ月前ですが、結婚が破綻しましたが、それはストレスの原因となり、免疫の低下につながり、免疫に衝撃を与えたと思います。引越をし、新しい職につき、新しく見いだした独り暮らしを楽しんでいました。5月に最初の注射しました。2週間後、空手で転び、左足の骨を折りました(準備運動でうさぎ跳びをやっていたときです)。ここで指摘しておかねばならないのですが、私は極めてタフで、骨折したり怪我したりすることはそんなにありませんでした。というのは、一週間前、練習してましたが、ひじの擦り傷から出血していたあとも練習を続けていたくらいですから。骨折したとは思いませんでしたが、次の日の朝、ミーティングに出なければならなかったので、うまくバンソコーするのがベストと考えていました。

足の小指の骨を骨折していました。6週間ムーンブート(防寒用の大きな靴)と松葉杖と、6週間の安静と昇進(なんとうまい言い方でしょう!)に縛り付けられました。でもそれはおこりませんでした。資産運用会社の責任者の執行助手として、来週から新しい仕事を始めることになっておりましたので、痛み止めに頼って生活し、大概の夜は外出していました。6月にタイに出かけなければなりませんでしたが、キャンセルしました。

私は、この時点では何一つガーダシルと関連づけることはせず、不器用になったのだと見なしていました。2008年8月に2回目の注射をし、間もなく松葉杖がいらなくなりました。9月に(父の日の週の週末、注射から4週間後)、目が見えなくなりました。木曜日の夜、目が痛みはじめ、コンタクトレンズを外し、めがねをつけました。金曜日にはさらに悪くなり、赤くなり、視力はさらに悪くなり、眼科へいきましたが、眼科医はコンタクトレンズが角膜の表面をはがしたのだろうということでした。考えてみてください、こんなことは後にも先にも決して起こったことはなかったのです。点眼薬と軟膏を処方され、週末は見ないようにといわれました。私としては、次の日、新聞販売店で働かねばならず、車を30分運転していくと(馬鹿な考えだったのですが)、バカだ、家に帰って休めといわれました。目はとても痛かったのでそうしました。後に、失明したかもしれないと言われました。目は治り、きれいになりました。いろいろなことが徐々に起こり始めました。具合わるく感じ始め、- つわりに似ている(そう思います) -、一日中吐き気がしました。食べ物をみると、食べなければと思っても、毎晩吐いてしまいました。とっても疲労していても、眠れませんでした。吐きながら、うたた寝したり目覚めたりでした。私は食べることが好きで、 - 大食漢ではないんですよ - そんな感じでした。体にはにバグがあると考えて、すぐ取り除けるだろうと考えていました。医者(ガーダシルの注射したところと同じ)に行き、神経が挟まったのだろう、直るだろうといわれました。

ここで指摘したいのですが、私は、離婚のこと、その後に起こったこと、足の骨を折ったことを一般医に話しており、注射の前にこういうことを知っていたはずですが、それでも注射をしました - そして、副作用の可能性については警告しませんでした。私は、足のために理学療のところに行き、バランスと協調運動を回復していました。自分で、なぜ壺から玉をとりだし、また元に戻したのか、わかりません。これで苦しんでいたのです - 奇妙ですが。理学療法師は、一般医のところへ行って神経内科医へ紹介状を書いてもらうことをすすめました。(またしても、私はワクチンをしたその人に助言を求めたのです)。一般医は検査上は何も異常が無いと言いました(彼らは耳をしらべて、膝蓋腱反射をしただけなのですよ)。神経内科に予約して診てもらうのは相当早いと言われました。私は一日一日と、具合が悪くなっていきました。なぜだかわかりませんでした。あたかも毒を盛られている感じでした。私は気が知れないくらいの時間働いていましたが、その段階で、手書きで字が書けなくなりましたが、それは忙しい人々をまとめる仕事の責任者にはまずいことでした。記憶にとタイプに頼り、とにかく普通のひとができることを補っていました。

もっと悪いことには、体の右側が麻痺していましたので、私の半身を引きずっていました。走ること、踊ること、ジャンプすることができず、歩くこともできなくなっきていました。アヒルのように歩き、靴が脱げてしまい、全くバランスと協調運動がうまくありませんでした。すべてのことを左手で行うことを学ばねばなりませんでした。眼前が真っ暗になるめまいがし、階下へ落ちました。(そう、コンクリートの階下に落ちました)。たとえばコーヒーテーブルのように、見えていて、実際そこにあるのは分かるのだけれども、 しかし、走り寄ることはできません。もう、かかとのある靴は履けません。震えるようになりました。なにかをやることがさらにと難しくなりました。体全体が震え、飲み物や食べ物の皿を、あちこちにこぼさずに運ぶことはできません。頭がすっきりせず(brain fog)、ものが2重に見え、右目はでは見落としがおこりました。

11月に祖父がなくなりました。数ヶ月間のうちに、私の知っている世界は消えました - 私の知っているものをすべて失いました - 夫、仕事、家、健康、家族 - 誰もこんなことを味合うはずがありません。このことも指摘しなければなりません:私の免疫システムは撃られてしまいました。かてて加えて、あらゆる風邪やインフルエンザによく罹ったので、そのことがわかりました。風邪のため一週間動けず、他の人たちよりもひどくやられました。みんなはストレスのせいだといいました ー 私はストレスでないと知っているのに。ストレスはこんなことをしません。

私は両親に会いにいき、何かが悪いんだと強調しました。自分はdrama queenではないといわなければなりませんし、死ぬときは医者のところに行きますよ。同じ週、母は私のために医者の診察の予約しました。一般医の(テッド ベネット医師)のところへすぐ行きましたが、医師はどこか免疫がおかしいとわかったようですが、彼には説明出来ないというのでとっても失望しました。彼は紹介状に、単純に"奇妙な"と書き、次の週に神経内科医(ミッチェル カテカー医師)の診察を受けるように予約をとってくれました。彼は私をMRIの検査に送り、多発性硬化症(MS:Multiple Sclerosis)と診断しまた(MRIには所見がないのだけれも、症状が似ているので)、3日間入院しメチルプレドニゾロンの点滴療法をしました。この治療は殆ど効果がありませんでした。私は具合が悪く、汗をかき、しかし、多分同じでした。

MSとする証拠がなかったのでより多くのスキャンを行いました。山を築く程沢山の検査を行い、少しでも改善するならと、東洋医学の治療法を探しましたが、しかし、すべては持続的な効果がありませんでした。とりわけ以下の検査のために、MRI/CT、X線検査をしました:甲状腺、サルコイドーシス、多発性硬化症、脳腫瘍、脳卒中、バックスキャン、フロントスキャン、2回の脊髄穿刺、視覚刺激電位検査、刺激誘発電位検査、脳幹誘発反応聴覚検査、脳波2回、PETスキャン、全身性紅斑性狼瘡(Lupus)と(よりによって)ヒト後天性免疫不全ウイルス(エイズウイルス)の沢山の血液検査。

私は何が起こったのかわからなかったので、2008年12月に私のエグゼクティブアシスタントの仕事の役割をあきらめました。正常ではないことを知っていましたが、なぜなのかはわかりませんでした。1月も仕事を休まねばならず、ソファから立ち上がるように自分自身に強制しなければならなりませんでしたが、ー ピン留めできないほど活発な女にとっては ー、それは異常でした。私はシドニーの神経科(教授はマイケル ハルマギ)にセカンドオピニオンをもらうために会いに行きました。彼は、彼の意見して、また他の医師の意見でも、ワクチンだといわれました。 6月までに、16人の女の子が同様の症状を呈したとのことでした。彼女らはすべてメチルプレドニゾロン治療に反応していました。私は11月にこの治療法をやったこと、反応しなかったことを伝えました。彼はこの治療のために五日間入院させてくれました。退院するときには、私が病気だったと言うことは、控えめな表現になります。汗をかき、幻覚、めまい、運胴失調、正常に話せず、または正常に食べることもできませんでした。新聞販売店で私の古い仕事に戻りましたが、毎日具合が悪いと感じていました。

その後の数ヶ月(2月9日から7月9日まで)はさらに下り坂で悪化しました。震えもあり、運動能力が悪化し、話すことはもっと悪化していました。私の一日は、仕事、理学療法、医師、スキャンでめいっぱいでした。 - その間、適切に食べ、運動し、8時間夜の睡眠、週40時間労働 - そんなのはもう無理でした。私はからだの半分を引きずり、半ば正常に話そうとがんばりましたが、難破しました。7月に仕事をあきらめ、初めて、私の人生は私自身のものだと思いました。生まれて初めて、私はわがままになりました。そして、それは良いと感じました!

ハルマギ教授、カテカー博士とマイケル·バーネット医師(私の免疫学者)の助言で、私はサンドグロブリンSandogoblinと呼ばれるヒト免疫グロブリン治療のために、5日間の病院に戻りました。これは、静脈内投与されました。私の人生を救ったと信じるこの薬は、オーストラリアでガーダシルを製造する会社から購入する必要がありました。また、数週間前に、PETスキャン(Googleで検索)の検査をうけてましたが、病院にいたときに結果が帰ってきました - 2つの主要な懸念の分野がありましたが - 私の卵巣は働き過ぎでした、運動機能を制御する小脳はスイッチがオフになっている - それは病気ではなく単に電球と同じように - 単にスイッチが入ってないだけでした。これは元のようにスイッチが入るという保証はありませんでした。私はそれを信じることを拒否しました。ずっと具合が悪るかったところへ、さらに具合が悪くなり、心が固くなっていました。

すぐさま卵巣の超音波検査をうけましたが、問題はありませんでした。 28日ごとに "トップアップ(注ぎ足し)"治療(Sandoglobulinと同じことをするOctogamと呼ばれる薬を"点滴注射"すること、Octagamはヒトガンマグロブリン製剤)をしますが、これは、すべてうまくいき、ずっと続けなければなりません。徐々に、ゆっくりと改善してきました。それは悪化するよりずっといいものです。私の一日は、ジム(2時間の耐久性、ウエイトレーニング、トストレッチ、水中運動、水泳)、作業療法、言語療法、調理、掃除で埋まっています。ニンテンドーのWiiが共同運動にすごく良く、またシングスター(カラオケゲーム)が話す訓練に合います。その他の運動については連絡ください、お役にたてるとうれしいです。消去法から、私はADEM(googleで調べて)と診断されています。基本的には、神経線維を取り囲んでいるミエリン鞘が食べ尽くされています。多発性硬化症(MS)と違って、古典的な激しく運動することで鞘は治ってきます。この病気はワクチンでおこることがあり、体の片方を麻痺させます。Googleによると定義は以下のようなものです:急性散在性能脊髄炎(ADEM)は、ミエリン鞘が傷つけれられて起こる、脳、脊髄の炎症が特徴の神経学的疾患である。ミエリン鞘は、脳の神経の絶縁体として働く脂肪の覆いである。ADEMは細菌、ウイルス感染、あるいはワクチン接種の合併症、あるいは原因不明におこる。発症は急性である。

症状はひとによって変わるが、頭痛、譫妄、だるさ、昏睡、痙攣、頸部硬直、発熱、運動失調、視神経炎、横断性脊髄炎、体重減少である。他の症状は単麻痺(一肢の麻痺)、片麻痺(体の半側の麻痺)。この異常は成人より子供で起こりやすい。

先週、いくつかのオーストラリアの新聞がガーダシルと多発性硬化症の症状を結びつけ、すべての少女は回復した(何と耳に心地よい言葉でしょう!)という記事がありました。私の知られているかぎりの家族には、MSのような疾患の家族歴はないことを書しておきます。唯一の問題は、私は10代から多発性卵巣嚢腫をもっていて、避妊薬を服用を続けていたことです。家系にはつよいがんの傾向があり(それがワクチンをした理由)、しかし、母親はこの遺伝子をもっておらず、私にも伝わっていないのです。

次は何でしょう。今は働けませんが、私の一日は治療と運動に捧げられています。大学卒業後資格をとるために来年大学に応募します- 後期教育の修士課程です。フルタイムで2年かかりますが、その間、回復の時間がとれます。私は改善しています。ヒールを履き、スポーツをやり、ダンスをやるために100%回復するぞ、と思っています。働くのを待っていられません。同じような状態の少女を教えたいということも含めて沢山の計画をもっています。病気になって、人生で大事なことを理解させてくれました。

(訳者、管理人の意見:全文の訳であるが、文章も経過も長いので以下に纏める。ワクチン接種は2008年5月と8月の2回。一回めの接種の後、足の小指を骨折した。体の動きがぎこちなくなったと認識してた。2回目の接種から4週間後に見えなくなった。その後、吐き気に悩まされる。。10月頃、右半身の麻痺、平衡機能、共同運胴の失調、震えが加わる。11月、シドニー大学神経内科でワクチンの副反応の可能性を指摘される。2009年2月~7月は症状悪化。しゃべることがうまくいかない。7月にヒトガンマグロブリンの点滴治療がはじまったと推測される。約1年続け、相当回復した。手記が書かれたのは2011年、28歳時。ADEMとMSの混用がみられるが、どちらも神経繊維の脱髄性疾患であり、ワクチン接種、ウイルス感染後などの急性発症はADEM、慢性に経過している場合はMSとしていいようである。)

(下のビデオの1:16あたりにジェシカさんが転ぶ場面がありますが、クリスティンさんの小脳失調による転びかたもこのようなものでなかったと思われます。管理人)




クリスティンさん(オーストラリア)の第二信

わたし自らのガーダシルの旅 ( My Personal Gardasil Journey )

PDFファイルでお読みいただけます。

kristin_2.pngオーストラリア、NSW、ニューキャッスルよりこんにちは。

私はクリスティン・クルーローです。現在29歳で、ガーダシルの生存者です。もし誰かが4年前に、後の生活が今のようになるだろうと教えてくれたとしても、全く信じることは無かったでしょう。単純に言えば、私は恵まれていたのです。

ガーダシルを注射する前は、私は元気で健康でした。経営学の学位を持ち、素晴らしい仕事、素晴らしい友人に恵まれ、素晴らしい人生を送っていました。酒は飲みませんでしたし、たばこも吸いませんし、体によくないことは何もしていませんでした。55キロでした。スポーツを好み、戸外にいました。沢山のお気に入りがありました。

2008年5月、よく世間に広められ、政府が保証したヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチン、普通ガーダシルとして知られていますが、三回の注射のうちの、第一回目の注射をしました。子宮頸がんの予防のために、9歳から26歳の女性に注射するように宣伝され推奨された、大量生産のワクチンです。わたしはかかりつけのGP(一般医)に注射されましたが、彼は利点を説明しましたが、危険性については説明しませんでした。

最初の注射から2週間後、カラテで転んで左足の骨を折りました。私は男勝りで、殆どケガをすることがありませんでしたから、それはちょっと不思議でした。私は6週間ムーンブーツをはき、松葉杖のお世話になりました。これは新しい仕事(少しやっかいなものなのでしたが)を始めた時期と重なりました。しかしうまくこなしました。

2008年8月に第二回目の注射を受けました。ちょうど、松葉杖をやめ、左足の力が回復してきた頃でした。約4~6週すると、変わったことが起こるようになりました。9月のある週末、目が見えなくなりました。これは回復しました。まもなく、ヒールを履いて立てなくなりました。平衡感覚がなくなり始めました。ダンスすることも、ジャンプすることも、スキップすることも、走ることも出来なくなりました。後ろのあいた靴を履けなくなりました。歩き方はグラグラし、平衡感覚と協調運動は以前のようではありませんでした。手書きで文字が書けなくなりました。何かをしようとすると体がピクピクし、震えるようになりました。しゃべり方が変わりはじめたように感じました。初めはすべてのことは右半身で起こりました。脳卒中になったようでした。無効だと分かったワクチンを注射したGPを何度か訪ねてみましたが、すべてストレスからくるものだ、神経が圧迫されたためだ、精神異常だとまで言われました。言うまでも無いことですが、答えを求めて医者を代えました。
 
新しいGPに代わりましたが、彼は私の突然の変化を見てはいませんでしたが、何かがおかしいとわかってくれました。さらなる診断のために神経科医を紹介してくれました。いくつかのテストをして、多発性硬化症(MS, multiple sclerosis)と診断されました。画像診断や検査には所見はありませんでしたが、体の兆候はこれを指し示していました。私は3日間にわたり3回のメチルプレドニソロンの静脈注射を受けました。殆ど改善はありませんでした。2008年12月、体調が悪くなり続けたため仕事を辞め、フルタイムの小売り環境にいきました。

2009年1月に、シドニーの神経科医にセカンドオピニオンを求めました。身体的な症状の検査の後、彼は一つの質問をしました:「最近、何かワクチンの注射をしませんでしたか?」と。数名の患者さんが同じような症状で紹介されてきたことを説明しました。どの患者さんにも一つの共通の要素がありました。ガーダシルです。5日間のメチルプレドニソロンの静脈注射の治療を受けることを薦めました。この治療は少し前にやりましたが、そのころ体調はもっと悪くなっていましたから、助けになるかと考えました。だめでした。メチルプレドニソロンはステロイドです。私の神経科医は単純にのべました。それは'火'に似ていると。体中を巡ってあらゆるものを殺し、体は作り直されると。問題は私の体は相当にノックダウンされ、戻れないのだと。次の5月間、私の体はさらに混乱していきました。失神し、幻覚ぎみになり、日常の単純なことをやるにも、もがかねばなりませんでした。眠れませんでした。いつでも具合が悪い感じがしました。フルタイムで働き、理学療法、作業療法、言語療法に出向きました。症状が左側を取り囲むように広がってきたとき、医療チームは始めからやり直してくれました。

2009年6月にPETスキャンの検査をうけました。これはMRIと処理は同じようなものですが、結果はもっと細かくわかります。このスキャンの結果は、小脳 ― 運動機能をコントロールする脳の一部ですが ― の機能がスイッチオフの状態であることを示していました。これは免疫グロブリン静脈注射療法の適応であることを保証していました。2009年6月まで、あたりまえにできたはずのことを、何をするにも、もがかざるを得ない状態でした。歩くのにも、もがかなければなりませんでした。バランスをとるために何かに掴まらなければなりませんでした。直線上をまっすぐに歩けませんでした。廊下を膨らまさずには歩いて下りられませんでした。車いすに乗せられて、スキャンに運ばれて行ったのを覚えています。以前は健康で、活動的で、いつも前向きな人間にとって、これは絶対に我慢のならないものでした。今でも、思い出すと目に涙がうかびます。話すのにも、もがいていました。数語は言えましたが、互いにつなげて文章にすることは出来ませんでした。

話したいことが分かっていても実際に話せないことは本当にイライラしました。全く書けませんでした。手がひどく震え、ペンが持てませんし、部屋を横切って投げることも出来ませんでした。食べるのにも、もがきました。震えて食べ物を口に持っていけず、また口がどこにあるかという知覚がなくなっていたので自分の口がわからず、ある日の朝、病院で母がトーストを食べさせてくれたのを覚えています。免疫の仕組みがなくなっていました。非常に具合が悪いので、病院のスタッフはブタインフルエンザにかかったのだろうと信じていました。神経組織もなくなっていました。神経繊維を包んでいるミエリン鞘 ― 神経を包んでいるように働くものですが ― が融解されたと説明されていました。白血球は混乱し、自分自身を攻撃していました。

基本的には、私は死にかけていたのです。神経科医は正直で、免疫グロブリンの静脈注射が効くかもしれないと言ってくれました。効かないかもしれません。この重大な時期に、私には2つの選択肢がありました。沈むか泳ぐか。沈むという選択肢はありません。息が続く限り泳ぐことでしょう。実際泳ぎました。

次の12ヶ月、28日ごとに入院し、免疫グロブリンの注射療法を受けました。オーストラリア赤十字社から多大な支援を受けました、この先ずっと感謝することでしょう。免疫グロブリンの静脈注射は「平和の維持peacekeeper 」でした。それはヒトの自動的な免疫(auto-immune)であり、体を回復させるのを助けました。非常に効きました。残りはあなたも届くでしょう。わたしは、集中的に理学療法、作業療法、言語療法、水療法をうけました。私は今後2年は働けないだろうと言われました。

病気は急性散在性脳脊髄炎( ADEM, Acute Disseminated Encephalomyelitis)だと考えられていました。ADEMは'免疫が介在する脳炎'と定義されています。通常ウイルス感染のあとにおこりますが、ワクチン接種、細菌感染あるいは寄生虫感染の後、さらには自然に起こることもあります。自己免疫機序による脱随 ( demyelination ) であり、多発性硬化症に似ており、多発性硬化症の周縁疾患と考えられています。単純に表現すれば、それ自体はMSの身体的表現に似ているのでありますが、しかしながら、私の経験したADEMは私の免疫システムの一回きりの攻撃であり、進行する変性ではないと考えられます。また、MSとは違い、ミエリン鞘は再生すると考えられています。

2009年12月、私は、二次の教育学修士をとるために、ニューキャッスル大学に登録しました。思い返しますと、殆ど歩けず、書けず、話せないのですから、みんなは私のことを正気でないと考えていたことは確かでしょう。私にとって、教職はずっと考えてきたことの一つでありますが、全く実行でずにいましたし、2年間仕事から離れるので、それを実行する最良の機会だと考えました。さらに、心をずっと忙しくすることができます。私は受け入れられ、2010年2月から、フルタイムの勉強が始まりました。

引続く2年間は理学療法、リハビリ、運動ジム、勉強、診察の予約などなどで、もっともっと一杯にしました。毎日を目一杯に埋め、私の体を目一杯頑張らせました。結果が物語ります。2011年12月のPETは私の小脳は生き返ったことを示していました。これは奇跡でした。小脳のスイッチが切られたとき、死んで萎縮します。私の場合はそうではありませんでした。

私はいま高校の教師です。私はほんとうに仕事を愛していますし、生徒は素晴らしいです。私にはとっても素晴らしい家族と友達があり、いつも私のそばにいる素晴らしい神がいます。それがなければ、今まさに、私が誰で、どこにいるのかわからなくなります。おなじ境遇にいる少女や家族を助けられる地位いる私は、とても幸福だと思っています。

この経験は、疑いなく、私が何者であるか、ということを変えました。私を、人生における素晴らしい事柄がわかり、つまらないことは心配しない人間に変えました。幸福に、前向きに、常に笑って、楽しみを持つようにと教えられました。うそをつきません、それは人生でもっとも厳しい時間でしたが、しかし最も見返りも大きいものでした。わたしはずっとひどい体の痛みに苛まれてきましたし、まだその日その日、痛みのなかで生きているのです。毎日、自分で体を急いていくようなものですが、それは痛く、イライラさせられます。状況を理解してもらえないために、私に浴びせられる追及や咎めをこなしていくことは、私の皮膚を厚くし、不治の病を抱えて生きている人たちへの大いなる感情移入となるのみです。精神的および感情的な混乱というものは超現実的で、体の内部に害をなす薬や全体にわたる状況の不安定により千倍も悪くされます。私はすぐさま、前向きな生活と毎日を目一杯生きることがもっとも良いことだと学びました。わたしは100%回復しないでしょう。でもじたばたしません。ずっと学び続けるものをもらったのです。

この病気で苦しんでいるすべての女性へ、私はここにいます。諦めないで。病気に打ち負かされないで。あなたが強くあらねばと思わないと、自分がどんなに強い人なのか知らないのです。毎日祝福されているのです。小さくとも信仰を持ちましょう。

時間の制約のためここに示すことできない沢山の情報があります。もっと情報、アドバイス、助けてくれる他の人たちとコンタクトを取りたいときには、victims@sanevax.org のSaneVacチーム経由で、あるいはフェイスブック(Kristn Clulow)経由で連絡してください。

IE8でうまく印刷できない問題を修正しました。

当方が使っているパソコンは、OSがUbuntu 10.04、インターネットブラウザはFireFox 12.0です。ブログ記事は MovableType 5 で作っております。「米国:ガーダシルによる死者111名、10名の追悼文」において、Internet Explorer 8 をブラウザに使って印刷を試みた場合、犠牲者の顔写真の下に枠が印刷され、文章が印刷されない不具合がありました。原因は、当方がMovable Type 5 での画像の入れ方に不慣れなためでした。せっかくの機会を生かせず、ご迷惑をおかけいたしましたこと、お詫び申しあげます。

当方の資料を数名の国会議員、2名の県議会議員、1名の市議会議員の方々にお送りしました。
また、市役所の保健課にも届けてまいりました。
国会議員の方から、新聞で報道された「子宮頸がん予防措置の実施の推進に関する法律(案)」は、当分審議に入る見通しは無いと聞いております。

以前、知り合いのかたから、お孫さんがときどきプチマルのようなてんかんをおこしているということで相談されたことがありました。最近、そのお孫さんが、日本脳炎の予防接種のあと、毎日発作が起こるようになったということです。やはりあるのですね。
ワクチンのあとてんかんがおこるというのは、SaneVaxの記事を翻訳して気がついたばかりでした。間に合いませんでした。
日本脳炎のワクチンには、過去に、ADEM(急性散在性脳脊髄炎)となったお子さんが出たため、接種が一時中止になったという前科があります。
最近の日本で、日本脳炎に感染して後遺症が出た人は何人いるのでしょうか。
日本脳炎ワクチン接種でADEMとなり、後遺症の出たお子さんは何人いるのでしょうか。
"ADEMとなった"と簡単にいいますが、実際にはそのお子さんは、てんかんをおこし、学校にいけなくなったのではないでしょうか。人生を不意にしてるかもしれません。
SaneVAXの犠牲者の文書で、ワクチンによる副反応の本当の姿が、初めてわかったように思います。

私はすべてのワクチンは不要だと考えています。効いていません。
私が射たれたワクチンは、種痘、猩紅熱、チフス・パラチフス、BCG、 日本脳炎、ポリオ、インフルエンザ。
成人になってからB型肝炎ウイルスワクチン。
全く、ロクでもない、ばかばかしいものばっかりです。
健康を害さなくてラッキーでした。
はしか、水痘、おたふくかぜに罹ったのは覚えています。

傷口に牛痘のウイルスを塗り込む、、いま考えると、とんでもなく危険なものです。
混乱せずにこなしてしまったヒトの免疫系がすごいと思います。
ポリオの生ワクチンを飲ませたら、ごく少数でもポリオの麻痺の患者が現れる、当たり前でしょう。
弱毒株の"弱毒"の程度は、どうやって"ヒト"で調べるのでしょうか。
小児突然死症候群はワクチンと関係ないのでしょうか?

「はしかはどうするのだ」と言うでしょう。
わたしはいらないとおもう。もしやるならば、経鼻接種したほうがいいのでは。
注射で、血流に生きたウイルスを入れるなんて、野蛮です。
麻疹は、江戸時代は20~30年周期で大流行し、死者がでました。
(鈴木則子著「江戸の流行り病  麻疹騒動ははなぜ起こったのか」)
しかし、時代が下ってくると、死者が激減してくるのです。
夏目漱石、森鴎外の小説に、麻疹の流行とか、麻疹で人が死ぬという場面は出て来ないのでは?

ヒトも含めて、現存するすべての生物は、30億年以上の年月をかけて出来てきたものです。
ヒトも大概の感染症にはやられないように、免疫を発達させてきました。
(佐渡のトキの雛に、ワクチンをするでしょうか。)

ワクチンが健康を守るというのは幻想です。
何か分からない物質の入った0.5mlで、人生を棒に振るのは馬鹿げています。


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2012年6月17日記。
下に紹介いたしましたYouTubeの Vaccination: The Hidden Truth は大変興味深いものです。
YouTube Vaccination: The Hidden Truth
ワクチンによる小児の突然死、脳障害、自閉症の問題が論じられています。
日本で、百日咳ワクチンのあと脳障害が増えたという論文が紹介されています。
そして、脳障害の最良の予防法は、ワクチンのボイコット、と書かれています。
(Japanese Journal of Medical Science and Biology 1985)
はしかワクチンはSSPE(亜急性硬化性全脳炎)を減らさなかった、との言及があります。
オーストラリアで製作された90分の英語版です。日本語訳が出来るといいのですが。
1:03あたりで、麻疹のあと子供が成長すると言っています。
絵がうまくなった事例が紹介されています。

このビデオは昨年9月にアップロードされたものです。
YouTube Vaccine Nation
アメリカでワクチン被害が社会問題になってきている状況がわかります。
主に自閉症 (autism) とワクチンの関係が論じられています。
子供に針を刺す場面がくり返し出てきて、音楽が恐怖を煽る構成になっていて、良くないと思いますし、好きになれません。
そして自閉症、その他の原因を "水銀" にもっていこうとすることには抵抗を感じます。
このビデオでも生物材料(DNA、タンパク等)が問題だとは言っていますが。
しかし、そこでどんな事実が挙げられているか、どのように考えられているかということを、"取材" するのにはとても役に立ちます。
上のビデオにもありましたが、shaking baby syndrome (乳幼児子供を喜ばせようと抱き上げて振ると脳出血をおこす)はワクチンの副作用によるものだ、という認識になってきたようです。
このビデオでは、愛児が死亡したときに児童虐待とされ、冤罪に巻き込まれた夫婦の話が縦糸となっています。夫は収監されています。
(アーミッシュの人々には自閉症がない、といっているビデオがあります。)

日本でも1歳までに20~30回のワクチン接種をしようとしています。
2~3本の同時接種をせざるをえなくなります。
アメリカの後追いですか? クレージーです!
日本でB型肝炎ワクチンを定期接種に加えようとしていますが、Vaccine Nation をみると、このワクチンでの死亡例があり、問題になっていることがわかります。

赤ちゃんのうちにワクチンを接種させよう。
そうすれば副反応はおこってもわかりにくい。生まれつきだ、遺伝的なものだと言い逃れることができる。
子供も大人も健康を害せば薬は売れる。
そう思っているのでないかと疑りたくなります。




measles2.png

これと殆ど同じと思われる図は、近藤 誠、ひろさちや著「がん患者よ、医療地獄の犠牲になるな」および、渡辺利夫著「人間ドックが『病気』を生む」にありました。
これらのオリジナルと思われる図が、YouTubeのVaccination : The Hidden Truth に出てきましたので、ここに張り付けておきます。

これは、アメリカの死亡調査のデータです。1910年ころから麻疹による死亡率が減り始めるのです。日本で麻疹ワクチンが導入されたのが1977年です。

1985年春、ワクチン接種が徹底していたテキサス州 Corpus Christi で、麻疹の大流行があったことが紹介されております。ワクチン接種を拒否しているアーミッシュの人たちには流行しなかったとのことです。
比較的毒性の弱い、ワクチン用麻疹ウイルスの "◯◯株" といったって怪しいものです。麻疹ワクチンで、"麻疹もどき" が流行ることだってあるとおもいます。


diphteria.png



ジフテリアによる死亡率の変化も貼り付けておきます。TOXOIDというところが現在のワクチン(3種混合の中の1つの成分)と考えていいとおもいます。













DPT_death.png



























三種混合(破傷風、ジフテリア、百日咳トキソイドの混合)ワクチン接種後の死亡の分布。ワクチン接種に引き続く初期の山と、17日頃を中心とする2つの山があるように見えます。


smallpox.png



























上図はVaccine Nationに出てきたものです。イギリスで、種痘を法律で義務接種にしたら死者が増えた、ということです。それを除けば、天然痘による死者は漸減していることがわかります。
種痘により(回復したひとは)確かに2度罹りしないかもしれない。しかし、種痘した段階で死亡してしまう人がいるわけです。

全く、ジェンナーというやつは、面倒な誤解を残してくれたものです。
そして人間は、なんか、注射したがるんです。困ったものです。

(この記事は、タイトルを変え、編集を加えて残しておきます。)

ガーダシルによる犠牲者の記録(3)ー 抄録 Guard your children against Gardasil !

SaneVaxのホームページにある、ガーダシルの健康被害を受けた方の記録の抄録です。かけがえのない健康あるいは命と引換の、極めて貴重な文書と考えます。すべての文書の一字一句が貴重ですから、時間がかかりますが、全文を翻訳するつもりです。
それまで待っていられませんので、すべての文書に一通り目を通すことを優先したいと考えています。多数の例に目を通すことにより、副作用の全体を知り、検討することができるとおもいます。
こんなことはあって欲しくはないのですが、日本人の女性で副反応がおこったとき、これらの記録が役立つとおもいます。

訳してみて驚くのは脳神経障害(てんかん、麻痺)の多さです。それらは恒久的な障害となってしまうようです(治らない、後遺症が残るということです)。
日本でも乳幼児に沢山ワクチンを射ちます。ワクチンの種類により、副作用の多寡と程度の差はあると思いますが、一定の確率で脳神経障害が起こっているはずです。
「ワクチンのすべて」という文書を読んだとき、ワクチンで自閉症がおこるという意見は意外に思いましたが、それ以上は考えないでしまいました。しかし、これだけの例をみて、その意見は正しいのではないかと考えるようになりました。乳幼児では神経障害の後遺症が出ても案外わかり難いのではないでしょうか。

「ワクチンのすべては」ここにあります。
http://tamekiyo.com/documents/healthranger/VaccineReport-JPN.pdf

子宮頸がんワクチンによる死亡は、ほとんどが突然死、とわかりました。
気になるのは、乳幼児の突然死症候群です。


Kirstie.png1)カースティーさん Kirstie ニューヨーク 12歳
運動と楽器演奏が得意な少女
2007年4月23日、1回目の注射。数週間後に腕、脚に皮下出血、サッカーやラクロスのせいだと考えていた。
5月29日2回目の注射。皮下出血がおこった。
6月17日、月経が10日続いた。
6月29日、遊園地で膣出血。30日も出血。
7月2日、血小板18000とわかる。血小板減少症の診断。
7月は血小板が減少し続けた。
医師は血小板減少症の原因はウイルスだとして、ワクチンとの関連を認めようとしなかった。
2010年も血小板が少ないため、サッカーやバスケットボールの試合を欠場した。
回復してきている。

Brittney.png2)ブリットニー  Brittney 年齢 ?
娘がガーダシルの副作用で苦しんでいる父親の怒りと苦悩の文章である。
ブリットニーさんはガーダシル注射のあと副作用が出て、歩くのに苦痛のようだ。
(Brittney struggles just to walk and to deal with pain)。
ワクチンが副作用で子供に苦痛を生じさせているときには、家族にも相当の苦しみを生じさせている。
アレルギーで通院していた内科医がガーダシルを勧めたので射ったが、その進め方(性行為でうつる、がんになるとか言って脅す)、副作用について説明しなかった、副作用が出た後ワクチンとの関係を認めない(心理的なものだと言った)、副作用で苦しんでいることに対して医師が関心を持とうしなくなったという態度に、怒りを爆発させている。
一方で、娘が成人してキャリアパスをつくることを楽しみにしていたが、それができなくなった、娘が孤立(友達から短い電話しかこない、訪ねてきてもすぐ帰る)していくのを見てさらに苦悩を深いものにしている。
副作用の不十分な検討まま販売している製薬メーカーに販売の中止、医師には誠実になって欲しいと訴えている。

Taylor.png3)テイラーさん Taylor 13歳 インディアナ州
彼女は1回目の注射のあと3週間目にけいれんをおこした。ガーダシルのパッケージには「強いアレルギー反応(sever allergic reaction)のみられた場合には止めるように」と書かれている。今ままでてんかんの無かったひとに、ワクチン接種のあとてんかんが現れたらそれはつよいアレルギー反応と考えるべきである。しかし、彼女の受け持ち医師は全3回の注射をおこなった。
2007年8月の終わりに1回めの注射をした。3週間後にてんかん発作をおこした。医師は、ワクチン接種がてんかんを起こしている可能性は無い(there was no possible way that this vaccination was causing my problems)と言い、あと二回も打ってしまった。
2007年9月8日、クロスカントリーのあとけいれん発作をおこした。
彼女のけいれん発作から2年後、友人のCaleighさんがガーダシルの注射のあとけいれんをおこした。それで、事態が明白になった。
3年半経た2011年になっても、けいれん発作をおこしている、発作が全く予想がつかず、大好きなソフトボールゲームに、マネージャーとしても出られない。
偏頭痛と食物アレルギー(グルテン、乳製品、カゼインなどなど)に悩まされている。
彼女は成績が全A(a straight A student)の生徒だったが、いまではそうではない。

Sarah.png4)サラさん 19歳 ユタ州
サラさんは成績優秀なブリガム ヤング大学の学生だった。ダンスもやっていた。
大学から、HPV感染の危険性とガーダシルの利点について書かれたパンフレットを受け取った。副作用については、注射部位の痛み、発赤、おそらく失神とあった。健康診断のため医者のところに赴いたら、医者はガーダシルを受けるべきだと、頑強に説明された(the doctor was adamant that she needed Gardasil)。
2007年1月、サラさんはインフルエンザのワクチンと一緒に、2回目のガーダシルの注射をした。
1週間後、サラさんは痛くて麻痺して、ベッドから起きられなくなった。4時間後彼女のルームメイトが発見して、病院に駆けつけた。
白血球は殆どなくなっており、内科医の言葉では、「免疫システムは根こそぎなくなっている」ということだった。酷い慢性的な痛みと、疲労が続いている。薬剤に非常に敏感になった。何もできず、ベッドに寝てるしかないことが何度もあった。
医師はVAERSに登録した。何度もMerckに電話したが、繋がったことがない。
IHRC (保険会社?)は、彼女の症状がその診療所で射たれたワクチンの副作用によるものであることについて、責任を取ろうとしないし、認めようともしない。
サラさんは、"もう1人の女性"としてガーダシルに守られるように反応することを許されなかった、"もう1人の女性"である(Sara is one more girl who has refused to allow her reaction to Gardasil make her ' one less'.)。

Briitany.png5)ブリッタニーさん Brittany 21歳 オハイオ州
ブリッタニーさんは世話好きの優しい子だった。優秀な子で、高校の後ろの2年間を1年で終了した。クラスにクッキーを焼いて持ってきたりするので「クラスのおかみさん(hostess of the classroom)」と親愛を込めて呼ばれていた。
2007年6月、21歳のとき、家庭医から、実験(lab)でうつったりするから、ガーダシルを注射するようにと言われた。医師は副作用は無いからと保証したので、HPV感染の恐怖から、医者の言うのは正しいだろうと受け入れた。
注射から6週間のあいだ、失神、ハンマーで打たれるような脚の痛み、そして驚くべき事にけいれんを起こすようになった。彼女は今までけいれんを起こしたことはないし、家族歴もないのである。
それでも、ブリッタニーさんは以前と同様に頑張っていた。
8月までに2回目の注射をした。10日後から、頭と顎が強く押し付けらるような感じがあったと思ったら、拷問のような脚の痛み、筋力低下、手足と頭部のゴムのような感じと焼けるような刺される痛みがおこってきた。ついには歩けなくなった。
救急受診したり、有名な病院の専門医に診てもらったが、「異常無し」であった。
幸運にも、彼女の友人が、ガーダシル注射後の、不可解な症状に苦しんでいる少女たちのことをインターネットでみて教えてくれた。
吐き気とめまいと目のかすみで、ブリッタニーさんはコンピュータの文字を読めないのである。
後に、ある内科医から「3回目の注射をしていたら恐らく死んでいただろう」と言われた。
ブリッタニーさんは40人以上の専門医に診てもらっていたが、幾人かの医師はガーダシルのせいでないかと聞くや否や、彼女の症状は心理的転化だと決め付けた。ある医療機関では、HPVワクチンの責めを聞くや否や、ドアを閉められ追い出された。
最終的には5人の医師から次の様に診断されている:末梢神経障害、瞳孔散大と機能異常、両脚の末梢神経炎、内分泌低下、特発性てんかん、肝機能異常、消化管異常、慢性ギラン バレー症候群様症状、ホルモン異常。
3年半経った現在、ブリッタニーさんの症状はよくなったり悪くなったりであるが、少し改善が見られる。
彼女はこの物語を、HPVワクチンで障害をうけたり亡くなったりした、世界中の人々に捧げたいと思っている。

Samantha.png6)サマンサ Samantha 15歳
GPA3.8のよくできる子だった。2型糖尿病、花粉症、Blount病(脛骨が湾曲する骨の異常)、多発性卵巣嚢腫あり出血を抑えるためピルを飲んでいた。
2007年11月、第1回目のガーダシルの注射したが、2、3時間以内に発熱と吐き気とひどい頭痛が起こり、ほぼ3週間臥床せざるを得なかった。医師(女性)を呼んだら、インフルエンザワクチンがうまくなかったに違いないといわれた。彼女はインフルエンザワクチンと同時にガーダシルの注射がなされたのだった。ちょっと体を動かしただけで気を失うようになった。両足に力が入らなくなった。2回目のガーダシルの注射のあと、足が痛いと泣いていた。両足とも末梢神経障害とされた。彼女は何度も失神し歩けなくなった。そして、その後3日間頭痛がした。
毎日朝起きると、サマンサは死んでいるのでないかと心配になる。
3回目のワクチン接種のあと、失神するようになりった。ワクチン接種後の症状は、slurred speech、 両脚の知覚欠損、視力低下、周辺視野欠損、非常な疲れやすさ。筋力低下、筋肉痛、頭に霧りがかかった感じ、月経異常など。
最後にERを受診したのは2009年8月25日だった。それまで、下肢の麻痺でERを何度も受診したので、小児科医のカスリーン サンティ医師を受診した。下肢の麻痺を診てもらいたかったのだが、その医師は診ることを拒否した。そして、ERを受診しろといった。信じられないことだが、女性医師はサマンサに目もくれようとしなかった。サマンサは2003年から彼女の患者だった。これには私も怒った。
サマンサはワクチンする前も病気がちだったが、ワクチンをしてもっと酷くなった。
ガーダシルは、インフルエンザワクチンと同時接種することは研究されてないはずだ.
私の娘は同時接種された。
ガーダシルだけの接種でもてんかんのような重い病気に苦しんでいる子供がいるのだが、2種同時接種は彼女の体のシステムには重すぎた。
私にはっきりしたことは、サマンサのような病気の既往のある子は決してガーダシルを射ってはいけないということだ。
母親としてお願いしたいことは、若い人たちがこの有害なワクチンに傷つけられる前に、誰か聞いて、何か行動して欲しいということだ。
(訳者意見:2011年6月26日付け文書の抄録です。原文が行き来の大きい文章です。)

6')Sami サミさん フロリダ州 (上の方と同一人物) 14歳
サミさんは、ガーダシルを経験するまでは、成績優秀な生徒で、サンシャイン州とよばれるフロリダ州に住んでいて、その利点をすべて取り込んでいた。テーマパークはしばしば週末のハイライトでした。シーワールド、ユニバーサルスタジオ、冒険島、Bush Gardenにいって、母親と一緒に、アトラクションに何度も何度も乗るのが好きでした。でも、こんなことはもうできないのです。
ガーダシルの注射の前、サミさんには、2型糖尿病、多様な物質に対するアレルギー、ブラウント病、多発性卵巣嚢胞という健康上の問題がありました。しかし、彼女は活動的で、普通の生活を送っていました。すべては、14歳のときに、インフルエンザワクチンと一緒に、第1回目のガーダシルの注射をしたときに変わりました。2、3時間以内に、嘔吐、発熱、ひどい頭痛がおこりました。彼女は3週間起きられませんでした。医者がこの症状について質問されたとき、母親は、「インフルエンザワクチンの注射が悪かったに違いない(She must have received a bad flu shot)」といわれました。サミさんには(あと2回の)ガーダシルの注射が続けられました。
彼女の副反応のリストは伸びつづけています。無月経(最初の注射以来、2年以上)、両足の末梢神経障害、周辺視野欠損(左眼)、オーラを伴う複雑な偏頭痛、重症睡眠時無呼吸、両下肢の麻痺。ある時、学校の先生(救急隊員も)が、サミさんの意識、脈の無くなっているところを発見し、生き返らせた。
サミさんはガーダシルワクチンの注射以来、複数の専門医に診てもらった。MS(多発性硬化症)、神経学的欠損、lupus(全身性紅斑性狼瘡)、リウマチ性関節炎、脳腫瘍は彼女の症状の原因としてはすべて否定されている。
毎日、サマンサさんのお母さんは、子供が生きて明日の夜明けを見ることができるだろうかと思ってしまう。子供が死んでいくと思うとき、他の親たちは、どのように心の準備をするのだろうかと思う。準備することなんかできるのだろうか。彼女は、子供たちにHPVワクチンをさせようかと考えている親たちに伝えたいと思っている:ガーダシルから子供を守って(Guard your children against Gardasil)!
(訳者意見:Samanthaさんについては2つの文書が有り、これは2011年6月16日付けのものの全訳です。)

Cassie.png7)Cassie カッシーさん ミズーリ州  14歳
カッシーさんの母親の手紙をみてください。
「私たちの悪夢は、2007年12月、私たちは立ち会わず知らされもしませんでしたが、私の冗談好きの活動的な娘がすすんで袖をまくり、ガーダシルの注射をしたときからから始まりました。そのときカッシーは14歳でしたが、人生への誠の愛、人の心を暖かくする笑顔で知られ、バレーボールとトラックを走ること同様に、教会やFCAに属する学校のユースグループではとても活動的でした。それは、ガーダシルが彼女から人生を奪ってしまうまでのことでした。」
「彼女が3回目の注射を受けて以来、4回入医院し、私の考えでは不必要な手術をされ、膵炎、胃腸障害と診断され、肺炎を3回、そして、中心静脈にラインをおき脂肪で栄養せざるえをなくなった(TPN 経静脈栄養、IV nutrition 静脈栄養)ひどい吐き気と嘔吐、疲労、めまい、頭痛、光と音への過敏、視力低下、乳汁分泌、てんかん様発作、両下肢のチクチクする痛みと知覚麻痺、ひどい腹痛など多くの症状に苦しんでいます。」
「わたしの、かつての面白く明るい娘は病気と痛みに衰弱していますが、しかしながら、彼女は、ガーダシルに愛する心と笑顔が奪われてしまうのを拒否しています。」「娘から、神への愛と忠誠を絶対に諦めないと聞かされていても、ときに、もう彼女が息をしないのではないかと恐くなり、彼女から目を背けてしまうことがあります。」さらに彼女は「何事も神のご意志ですし、私の病気にだって理由があるのです。」とさえ言うのです。
「私たちはみんな、わたしの知っているこれらの少女達から沢山学べたし、カッシーのことをとても誇りに思っています。(We could all learn a lot from these girls I know I have and I am so proud of Cassie.)」
(全文を訳しました。でも、最後の行の前半はどう訳せばいいのでしょう。)



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