ガーダシルの犠牲者の記録(2)

SaneVAXのVICTIMSから、亡くなったかたの記録を探してみましたが意外に少ないのです。詳しい経過は、ジャスミン レナータさんのものだけとおもいます。考えてみますと、ガーダシルの副反応で亡くなるときには、例えば Chistina さんの場合のように、カレッジのベッドで突然死しているところを発見されるのですから、基本的に副反応の経過の記録が残せないのです。本当に突然死が多いのです。
ジャスミンさんは、2008年9月18日に第1回目のガーダシルの注射をして、亡くなったのは翌年の9月22日でした。1年と4日という長い経過をたどったジャスミンさんの記録は大変貴重と思います。

wartsを"イボ"と訳しましたが、ガーダシルの注射のあと"イボ"が出現したというのは驚くべき事です。2週間めというのは、HPV(ヒトパピローマウイルス)に対する抗体が上がってきてもいい時期です。ガーダシルは、皮膚に"イボ"をつくるヒトHPV 6,11 に効く、というのが売りの文句なのです。
この現象のもっとも単純な解釈は、ワクチン液の中に生きたウイルス粒子が入っていたのでないか、ということです。さらに重大なことは、HPVは粘膜の表面に局在するのに対し、注射で入れられた場合、体の内部、流血中に入るということです。

もうひとつ、経過からはっきりわかることは、ワクチン接種の度に、体の抵抗力~免疫力が低下してきている、ということです。これは、ワクチンの問題を考えるとき、極めて重要な視点と考えます。

ジャスミンさんの例は、ガーダシルが全く効かないということを疑うに十分な例です。
また、ガーダシルは、一部のひとには非常に危険なものであることを示しています。

一体、ニュージーランドの医師は何をやっているのでしょう。ワクチンの副反応が起こっているのは明白です。どうして、2度目、3度目と射つのでしょうか。最後の行で、家族は医師にウソを言われた、と感じているのがわかります。


Jasmin2.jpgジャスミン レナータさん

享年 18歳

ニュージランド ウエリントン

2010年 1月14日 ヒラリー バトラー Hilary Butler によって書かれました。

ジャスミンは、健康の問題など全く起こったことのない、とても健康な少女でした。2008年9月18日、最初のガーダシル(Lot no. NJ02260)の注射のあと、手と皮膚に"イボ"が出現し、彼女の雰囲気が変わりました。イボは10月20日に焼いてもらい、再発はしませんでした。11月18日、2回目(NJ11440)の注射後、機嫌がさらに悪くなり、2週間以内に再びイボが出現し、2009年1月28日に焼いてもらいました。2009年3月17日、3度目(NJ011440)の注射後、時計仕掛けのように、2週間以内に、3度もイボが戻ってきました。ワクチン接種と同時に、医師により、避妊のためにDepo Proveraが注射された、ということを記しておきます。

しかし、すでに教えられているとおり、私たちは、ガーダシルは、性器にできる"イボ"でも、他の部位の"イボ"ができることとは関係ないと知っています。私たちは偶然におこることもあるだろうといわれました。だが、ワクチン接種のたび"イボ"が生じて、それも3回も繰り返したとなると、偶然の一致ではありません。どれくらいの少女でこのようなことが起こっていて、そして関係がないと告げられているのでしょうか。

ガーダシルの注射のたびに、ジャスミンの気分と行動が変わりましたが、10代の子供を持つ母親のように、ジャスミンの母親ロンダは、10代の娘がしゃべりたがらない"人間関係"の問題による、ジャスミンの生活からくるストレスのせいにしまいました。ジャスミンの示したわずかの症状は、いろいろな原因を考えているうちにぼやけてしまいました。彼女の胸痛は一方に追いやられました。動機は無視されていきました。朝起きると枕を唾液でぬらしていたことは、たまたまの出来事とおもわれました。今や、普通なら頭を使わなくても出来るはずの単純なことが出来なくなってきていること、判断がこんがらかること、くよくよしていること、でもこれらは忘れ去られていきました。しかし、それはジャスミンの死に向かって、ジグソーパズルが互いに埋まっていくようなものでした。一転して、不意にガーンと顔をなぐられます。医療関係者以外には、そうみえます。

ジャスミンの2009年3月17日の3回目のガーダシルの注射後、ジャスミンの免疫システムは何かと張り合ってもがいていました。すぐさま、ジャスミンの気質は興奮しやすくなり、ガミガミ屋になりました。彼女は、腕に力が入らなくなり疲れ易くなったと、いつもこぼしておりましたが、私たちは、彼女が他人のためにいままでより余計に仕事をしていたからと思っていました。彼女は可能な限り、日中も寝ていました。

しかしながら、腕の痛みは続いていて、彼女はよく、ピンや針が入っていて、理由なく突っつかれているといってました。彼女は午前に寝入りはじめ、午後の仕事の前にも、日中も寝ようとしていました。彼女はものを落とすようになりました。

彼女は沢山食べるようになりましたが、体重は増えませんでした。

2009年以来、ジャスミンは不器用になったと言い始めました。彼女はこんなふうに言うようになりました。「神様、私は不器用になっています」、彼女はぶつかるようになり、食べ物を落とすようになりました。彼女は仕事でもよく物を落とすと、こぼしておりました。彼女の性格の揺れはさらに移り気になっていきました。

ついに私は「この子は自分の能力を無くしている..、自己判断能力を無くしている..、単純なことがどうしてできないんだろう」と思うようになりました。

そのころには、私たちはジャスミンの思考がおかしいことに気づき始めました。たとえば、彼女は私に、「ニンジンをつぶさせてくれない?」といいました。私は「いいわよ、お願いね」と言いました。彼女は潰し器とニンジンを取り出し、私をみて、「潰し器はどうやるの?」。ニンジンとチーズなんかを、もう何百回もつぶしてもらっていたので、それは驚きでした。ジャスミンはこんな風にすら言いました。「あれ、どうしてダメなの!」こればかりではありません。彼女がやっていた他のちょっとしたことでも、やり方を知らないようにみえました。それは子供に教え直すようなものでした。

あるとき、彼女は「今週私のお金で何をしなきゃいけないの?」こんなことは、以前はちゃんとできた子供でした。思い出しますと、ちょっと計画を忘れるようになりました。自分のことの決定や、簡単な仕事をどうやるのか、できなくなっていました。彼女は、他人の仕事のシフトをやるべきかということさえ私に尋ねてきました。ついに私は「この子は自分の能力を無くしている...、彼女の判断能力はどこへ行ったのだろう...、どうして単純なことがもう出来ないんだろう」と思うようになりました。

5月頃、ジャスミンは脚、背中がひりひり痛むと言い始めました。

6月になると、ジャスミンは間をおいて、胸痛、動悸を訴えていました。私たちはストレスのためなのと聞きましたが、彼女はそうじゃないといっていました。彼女の仕事仲間は、Jazzはとっても疲れていて、不平ばっかりいっている、と言っていました。彼女は彼らにがみがみ言い、気分がよくないと何度もこぼしていましたし、仕事の無いときは寝ないといけないと言っていました。

8月の初め、ジャスミンは風邪をひきました。普通なら、2日でなおり、これまで何か必要としたことはないのですが、今度ばかりは、どんどん悪くなっていきました。彼女はズキズキする、背痛と腹痛を訴えていました。またしても"イボ"が出てきました。ジャスミンの風邪は決してよくならず、9月21日、彼女の亡くなる1日前にも、鼻水が止まらないとこぼしていました。風邪の間、すこし頭痛を訴えていましたが、死に至ってしまいました。

彼女の肌は変わってしまい、いつもより沢山の吹き出物が出て、彼女をうろたえさせていました。ジャスミンは、また"イボ"にもっと沢山の液体窒素をかけてもらいましょうと言っていました。

彼女の死の一日前に撮られた写真は、具合がいいようにはみえません。彼女の髪は長く、とても疲れているようにみえます。それでも、彼女はいつも空腹で、いつもより沢山食べていました。いつもより沢山食べていたことは、6週以上も風邪が続いていて常に疲れている病気の少女に似合いません。ジャスミンは感情的にも、体力的にも、知的にも下り坂でしたが、誰にもそれが(ガーダシルのせいだとは)わかりませんでした。なぜなら...、"このようなことはガーダシルのあとでは起こらない。"(と言われ続けていましたから。)

(全文の訳です。最下行とその上の行の()内は訳者の考えで補ったものです。)
あわせてお読みください。

この記事について

このページは、さとう内科循環器科医院 - 宮城県大崎市が2012年5月25日 17:38に書いた記事です。

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