本吉、気仙沼、陸前高田の被害を見てまいりました。

6月5日、午前11時頃古川を出発して、本吉にむかいました。
偶然本吉病院の前に出ました。病院は2メートルくらい水没したようです。海岸線から2km、病院の前は高台となっていて、全く海の見えない場所に立地しております。写真は病院の玄関の裏手(西側)の津波被害の様子です。左手に津谷川があり、津波は堤防を越えて入ってきたと思います。
大川小学校の場合もそうですが、津波は激しい勢いで川を遡上し、堤防を決壊させおおきな被害をもたらしました。



気仙沼に入りましたが、曙橋を渡り、内の脇あたりに出ました。地盤沈下が目立ち、住めないな、という印象をもちました。


魚市場近辺を見て魚浜町に出て、5号線に乗って陸前高田をめざしました。ナビを使っていたのですが道がわからなくなりました。魚浜町で、5号線に大きな漁船が道に乗り上げ、道は壊滅状態で通れないためでした。浜町を通る迂回路に気がつくまで、同じところをぐるぐる回ってしまいました。


45号線を通って陸前高田市に入りました。気仙大橋のほとりに出ましたが、橋が流されてありません。ひとつ上流の姉歯橋も流されていました。気仙川右岸の、対面通行できない狭い道を走りぬけ(スラローム走行とか)、越戸内(おっとない)踏切で今泉街道に出ました。ちょうどここで大船渡線の線路がなくなっていました。ここよりさらに上流まで津波が押し寄せて来ていたわけです。

340号線を海に向かって、海岸線より2Kmの大船渡線の跨線橋より陸前高田市が一望できますが、公立高田病院、ホテルなどコンクリート造りの大きな建物以外はすべて破壊され流されています。民家は全く見当たらない、すさまじい被害(破壊)です。



(帰路に、中川原跨線橋より海岸の方を望んだもの。遠くの建物は高田病院とおもいます。)



(中川原町跨線橋の様子。帰路に、上の写真を撮る為、跨線橋の中央で車道左側ギリギリに停めたときにパンクしたかもしれません。手前側に約500m下りたところでレッカー車を待っていました。松の木が見えますが、高田松原から運ばれて来たものでしょう。)

夕方5時になり、帰途につきました。、跨線橋を下ったあたりで、タイヤのパンクに気づきました。すでに、タイヤサイドが激しく痛んでおり、スペアタイヤもジャッキアップセットも積んでなかったため万事休す、でした。車の会社のサービスに頼んでレッカー車を派遣してもらいました。

車の中でレッカー車の到着を待っておりましたが、日が暮れても、あたりには家の光は全くありません。真っ暗闇でした。時折通る車のヘッドライトのみ。
レッカー車が到着したのは午後8時ごろ。出発したのが8時半。診療所についたのが11時半でした。走行距離は118Kmでした。
次、被災地に行くときは、ジャッキアップセットと冬タイヤ1本を積んでいきます。

夕暮れ、跨線橋の上より市街地を眺めていたとき、皆さん、どうしてらっしゃるのだろうと思いました。
避難所の不自由な生活に耐えてらっしゃるはずです。
一日でも早く楽な生活になることを祈っております。

下の写真は気仙沼より陸前高田に入って、気仙中学校の近くから撮ったものです。
1本松が写っています。
津波の前は松林が見えたのでしょうね。

takata_matu.JPG

あわせてお読みください。

この記事について

このページは、さとう内科循環器科医院 - 宮城県大崎市が2011年6月10日 21:28に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「「私はインディオ(Indio Soy)」 という歌」です。

次の記事は「不活化ワクチンの効果は消失する」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。