「私はインディオ(Indio Soy)」 という歌

平成21年10月25日号の大崎市医師会報に投稿したものです。趣味の部屋に入れるべきだったかもしれません。
一番下に、投稿したものをスキャナー(150dpi)で読み込んだ画像があります。
印刷してお読みいただけます。
一部書き替えたため、下の文章と違う箇所があります。ご了承願います。
歌詞は全文を収載いたしました。

残念ながら YouTube では Viviana & Condorkanki の歌は聴けません。

アレンジが全く違うのですが、Florencio Zambranoの歌が聴けます。歌詞は同じです。
歌詞では山岳地方(ボリビア)のインディオのことを歌っているのですが、画像はアマゾン川流域のインディオと思います。

4/06 '12 下のビデオも見られなくなりました。残念です。
ネット上には、ここで取り上げている Indio Soy の歌はありません。

「インディオ」という言葉には侮蔑的な意味が含まれ、使うときは注意しなければならないようです。
原住民を表す言葉としては、 indigena インディヘナ を使った方が無難なようです。
( インディヘナで、インディオと呼ばれるのが嫌な人たちがいるわけです。)
さらに、この歌の歌詞に、スペインを告発する箇所があり、南米では歌えないのだと思います。
日本での公演だからこそ披露できたのだと思います。
「日本人には分かってもらいたい」というメッセージが込められているのだと考えています。




「私はインディオ(Indio soy)」という歌


南米への関心

 大学生から初期研修医のころはクラシック音楽しか聴かなかった。30歳代の頃から民族音楽を聴こうと努めた。しかし、民族音楽がすべて耳に合うわけでなく、ジャワのガムラン音楽とトルコの軍隊行進曲くらいが限界であった。

 またそのころから非ヨーロッパ文明の本を読むようになった。最初に読んだ本は「私の名はリゴベルタ メンチュウ」だったと思う。その後、「ナパニュマ」を書評で知って読んだが、非常に印象深いものとなった。ナパニュマとは、ヤノアマの言葉で「白い女」という意味である。ベネズエラに近いアマゾン奥地のヤノアマ族に連れ去られ、部族の長と二度結婚し(最初の夫は部族間の戦争で殺される)、子供を育て、白人社会に戻ったスペイン女性の自伝である。最終章の"醜い白人の社会"という見出しは、ヨーロッパ白人文明に疑いを持っていなかった私にはショックであった。そして転機となった。

くしくも本年(2009)4月にNHK特集で「ヤノマミ」が放送された。「ナパニュマ」は1950年代が舞台であった。ヤノマミの現在は、合成繊維のパンツをはき、アルミのたらいをつかい、幼児がカラー印刷の聖書の絵本のページをめくっていた。この番組出は、ヤノマミの狩りの生活、未婚の若い母親の"出産、嬰児殺し"を中心としたものであった。取材、撮影は大変だったと思うが、「ナパニュマ」を読んだことのある者にとっては、映像は興味深かったし、参考になった。

次に読んだものは「ラテンアメリカ500年 収奪された大地」(1971年)だったと思う。この本は本年、第5回米州サミット国連の場で、ベネズエラのチャベス大統領がオバマ大統領に贈ったことで注目を集めた。日本でも再出版されている。

1492年は北米、南米の先住民にとっては地獄への分水嶺の年だった。神、客として歓迎したスペイン人たちは非道非情なる悪魔だった。スペインによるインカの「発見」と「征服」は、インディアスの民、大地、富がヨーロッパ白人のむき出しの欲望の前に、無防備なまま差し出されたようなものである。それは黄金、銀の強奪のみならず、インディアスの民に、虐殺と奴隷労働をもたらした。その後、先住民は500年もの間、白人の暴虐と戦い続けてきたのである。過去にはキリスト教徒のスペイン人、現代はアメリカの資本支配のもと、武器支援を受けている勢力とである。

 「インディアスの破壊についての簡潔な報告」は上の本で知ったと思う。司教ラス カサスは、カリブ海諸島、中南米、ペルーで、スペイン人のインディアスの民に対する暴虐があまりにひどいことを調査し、スペイン国王カルロス一世に謁見を求め、報告した。それが文書化されたものである(1542年)。全編、以下に紹介するような残虐行為が記されている。

 "この40年の間、また、今もなお、スペイン人たちはかつて人が見たことも読んだこともない聞いたこともない種々様々な新しい残虐きわまいりない手口を用いて、ひたすらインディオたちを斬り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやっている。"

 "スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。「申し訳ないが拙者が別の奴を殺すまで、どれでもいいからその辺の奴の四半分ほど貸してくれ。犬に食べさせてやりたいのだ」"


フォルクローレとの出会い

 3年前だと思うが、仙台の駅前のペデストリアンデッキで、3人のフォルクローレ演奏グループに出会った。このようなグループの人たちは背が低く、色が黒く、服装もどことなくさえない。人助けの意味で1枚CDを"買ってあげた"。2,3月放っておいたのだが、ある時ノートパソコンのCDドライブのチェックのために聴いてみた。一度聴いて「オッ」と感じ、何度も聞いてしまった。単におもしろい音楽というのでなく、心の底からこの音楽を好きになってしまった。その後、フォルクローレのLP、CDを片っ端から入手し、フォルクローレの演奏会にはできるだけ足を運び聴くている。ケーナ、サンポーニャといった素朴な管楽器の音色、チャランゴのなんとも形容方し難い魅力の音色、リズム形式の豊富さと楽しさいいのである。

 昨年、コンドルカンキというグループの1992年の日本公演のビデオを入手した。なかでも「 Indio soy」という歌がとても印象に残った。インディオの抵抗運動の歌ということであるが、ワルツのリズムの、少しうら悲しいメロディーがとてもいいのである。さらに、歌詞を読んで驚いた。語りの部分もあり、かなり長い(36行)のだが全文を紹介する。

(関係代名詞の為、訳の行が入れ替わっているところがあります。)


Indio soy, y no me compadezcas.  私はインディオ 同情はいらない        

Estas son monedas que no valen nada  同情なんて役に立たない小銭               

y que dan los blancos como quien da plata. 白人たちがまるで銀貨でもあるかのようにくれる  

Nosotros los indios no perdemos nada, われらインディオはなにも失わない      

pues faltando todo, todo nos alcanza. なんにもなくって なんでも用が足りる  

Dejame en la puna vivir a mis anchas,  高原で好き勝手に生きさせておくれ  

trepare por los cerros detras de mi cabras,  山羊たちを追って山に登ろう          

arando la tierra, tejiendo los ponchos,  畑を耕し ポンチョをつむぎ        

postando mi llamas y echar a los vientos  リャマが草をはむあいだ 風に飛ばす

la voz  de mi quena. わがケーナの声                        

Dices que soy triste, que quieres que haga?  私が悲しげだというのか? それがどうした? 

No dicen ustedes que el indio es sin alma  あなたたちが言ったのではないか インディオは

y que es como piedra sin decir palabas  魂を持たず 物言わぬ石のようだと

y llora por dentro sin mostrar las lagrimas?  涙を見せず心の中で泣いていると   

Acaso no fueron los blancos venidos de Espana  スペインからきた白人でたちではなかったのか

que nos dieron muerte por oro y por plata?  金銀のために私たちに死を与えたのは?

no hubo un tal Pizarro que mato a Atahualpa  素敵な嘘の約束をしてからアタウアルパ皇帝を

tras muchas promesas bonitas y falsas?  殺したピサロという人がいなかったか?


Entonces que quieres?,   それなのに何を望む    

que quieres que haga?  私にどうしろと言うのだ 

que me ponga alegre como dia de fiesta  親方が私に払ってくれる4センターボで

por cuatro centavo que el patron les paga  お祭りの日のように楽しくなれと言うのか

y quieres que ria, mientras mis hermanos  笑えと言うのか 私の兄弟は 

son bestias de carga llevando riquezas  他人がしまい込むための富を

que otros se guardan  運ぶ獣にすぎないというのに

y quieres que la risa me ensanche la cara  満面の笑みを浮かべろというのか

mientras mi hermanos viven en las montanas   私の兄弟は山に住んで         

como topos, escarva y escarva,  もぐらのように 掘っては掘って‥

mientras se enriquecen los que no trabajan  働かない人間はお金持ちになるのに 

y quieres que me alegre mientras mis muchachas  私に楽しくなれというのか 私の若い娘たちは

van a casas de ricos lo mismo que escalvas.  女奴隷のようにお金持ちの家に行くのに

Indio soy, y no me compadezcas.  私はインディオ 同情はいらない

(*へ)

Dejame tranquilo que aqui la montana  私を静かに放っておいておくれ ここでは山が  

me ofrece sus piedras acaso msa blandas  私に石ををくれる それはおそらく 

que esas condolencias que tu me regalas.  あんたが贈ってくれる憐れみの言葉より柔らかい

Indio soy, y no me compadezcas.  私はインディオ 同情はいらない


グループリーダーの娘、ビビアナ(当時17歳)が500年のインディオの歴史を背負って歌うのである。舞台姿も美しい。

後半はポトシ銀山での奴隷労働のことを言っている。事故、塵肺、珪肺で次々に死亡し、"インディオの肺を銀に変えた" と言われた。


ワンカル著「先住民族インカの抵抗500年史」

 今年の5月に連休に東京に出掛けた。時間があったので上野公園の美術館へ行こうと思った。公園の石垣の下の古本屋にたまたま入ったのだが、偶然この本に出会った。著者はインカの末裔のケスワ(ケチュア)人、インディオである。ラス カサスの場合、スペイン人による侵略、虐殺を外側から見ている。この著者は内側から、虐殺される側、絶望的な戦いを続ける側から記している。

 著者の現状の認識は、"ケスワイマラ人の大地に居座ったヨーロッパ人の共和国" という見出しに端的に言い表されていると思う。

 この本で知ったのであるが、コンドルカンキ、トゥパック アマルという名は、インカの抵抗戦争の英雄とし、記憶に刻み込まれている特別なものであることを知った。ペルーの日本大使館を占拠し、皆殺しにされた人たちがトゥパック アマル革命軍団と名乗っていたのである。フォルクローレを演奏していたペルー人のグループにFujimori(フヒモリと発音)大統領のことを聞いたことがあったが、嫌われている印象を受けた。

 この本の「日本語への序文」は非常に印象的で、意味深い。是非一部を紹介したい。

 "これまでの人類の生活の大部分を人々は「自然」とともに、自然の内部で生きてきた。そこでの教育は自然と共存するために生命の恒久の諸力を理解し、いかに観ずるかを学ぶことにあった。"(途中省略)

"エホバは、人間によって、心ではなく、脳によって、冷たい理性によって、そして人間のビジネスのための道具として、作り上げられた。それが、その神が優しさ、喜び、善意、愛を欠いている理由である。自然から分離された人間の心は狭く、固く、残忍なものとなる。"


 インカを含め、南米の歴史がもっと知られることを願うのである。ヨーロッパ、アメリカ文明が秘めた貪欲さ、残酷さが理解されるのである。

 四大文明といわれるものはすべて都市文明である。自然を壊さないように、自然に逆らわないようにして永続した南米アンデスの文明は、この特異性からも、もっと知られ、評価されることを願うのである。

(引用の歌詞は CD ビクター VCP-200の解説書のものです)




上のVHSビデオ、CD(ビクター VCP-2000)に「私はインディオ(Indio Soy)」が収録されております。


Viviana Careaga  さんはご健在です。 Caen las estrellas(カエン ラス エステレジャス、星が落ちて?)というタイトルの素敵な歌が聴けます。歌詞がわからないのが残念です。


この曲(Caen las estrellas)については「趣味の資料」の部屋に続きがあります。


7/04 '12 Viviana Careaga さんがYouTubeにチャンネルを持ち、1992年の日本公演のビデオをアップロードされています。やはり、Indio Soy はありません。
「五木の子守歌」がありました。
他のビデオをみますと、広い体育館のようなところで、ござ敷きの会場です。
YouTube ビビアナ カレアガとコンドルカンキ  五木の子守歌

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あわせてお読みください。

この記事について

このページは、さとう内科循環器科医院 - 宮城県大崎市が2011年5月30日 19:43に書いた記事です。

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